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2023年3月22日水曜日

年度末報告、花粉、クソくらえ。

 皆様どうも、部長になりたくない副部長です。

 気づけばもう白銀の世界ですね。っていうブログの下書きを放置してたら先に雪が消えてた。

 もうすぐ新年度で、外には夢で満ち溢れる新入生と思しき人々が空き家を出入りしている。なんと輝かしいことか。木造の家と日当たりの悪い家はやめとけよって言いたい。

新入生のみんなは「トランスフォーマー2」みたいな大学生活を想像してるんだろうけど、実際はもうちょっと地味。町中でディセプティコンが暴れたりしない。

 特に報告する事も無いんだけど、夏に映画を2本撮って、秋は泊まり込みで撮影協力して、冬は原 將人監督と会った。あとは1日中映画館にこもって映画観続けた。たぶんそれぐらい。一応もうすぐ夏の映画は完成するはずだから、気長に待っててほしい。

 今年は顧問の先生と会話できたのは大きな収穫だった気もする。ずっと会ったこともなかったから、Twitterにいる妖精さんだと思ってた。実在した。

これ以上報告することもない。困った。そういえば岡山と大阪に旅行した。まぁそこでも映画ばっか観てたんですけどね。映画狂人卍。

 

 このサークルは大学生の真ん中を進めなかった可哀そうな人達の集まりだから、正しいサークルの形なんて知らないし、形式なんてものはもちろん崩壊してる。だから面白いし、自由でいられる。映画で飯食ってる大人達と学生が協力して一つの創作に奔走して、酒飲んで語りあえるのは映画サークルしかない。と思っている。講師として呼べばプロなんていくらでも呼べるんだろうけど、それはあくまで教師と学生でしかない。そういう垣根を越えて、純粋に映画が好きな人たちとして、出会えるのはきっと素晴らしいことなんだろうと思う。

バイトと学業に没頭して就活で無双するのも悪くなかった。しかし、学割が効くのも、親の脛を齧れるのも、芸術に自己を投影できるのも、これで最後だ。ならば最後ぐらいべらぼうにやってしまおう。若いエネルギーを芸術で表現しよう。岡本太郎もそう言ってた。俺の想像する社会人は「マッドゴッド」みたいな世界なので、なるべく今を生きていたいですね。


2022年11月18日金曜日

初めまして、クソくらえ。

 皆様初めまして、現副部長です。大学入って2年目の人です。


いい加減このブログを更新しようと思います。前任者の方のブログ?日記?が好評だったので、正直更新したく無いですね。ちなみに前任者の方はいつぞやの台風に攫われてどこかへ行ってしまいました。ブログって時代遅れの道具で、だいたいアフィリエイトになってる。今の時代に全くあってないんですよね。そういう部分にはシンパシーを感じますけど。

で、このブログなんですが、放置するのも勿体ないし、更新しても誰も見ないし、どうするか考えました。とりあえず、活動を纏めて報告するスタイルにしたいと思います。来年度以降の新入生へのプロパガンダですね。新入生が読むとは思えないけど。

あとは撮影技法とか、編集技術とか、そういうのを記録しときたいです、たぶんしない。横浜駅が完成するのと同じぐらいの信用度です。

本当はうだつの上がらない大学生の日記にしたいんですけどね。無いんですよね、文才が。面白い映画の話とか、煙草と酒の話とか、してみたいんです。自分の健康が気になってできない。



2022年4月11日月曜日

書かなきゃ死ぬ

 東京の街は寒かった。それに山手線の車内に響くエンジン音は冷たい。山陰や北陸を走るキハのエンジン音には、母親が漕ぐ自転車に揺られているかのような温かみがあったのに。身を寄せていた知人の部屋の窓外の駅に、せこせこと動き回る人々の去来を認めて厭世的な気分になる。あれが満員電車というものか。

 お久ぶりです、映画研究会の柿原です。よろしくお願いします。新入生の方々、はじめまして。ここのところ、東京は北区赤羽の知り合いの家で、居候しながら小説を書いてました。炊事洗濯くらいは、ちゃんとしてましたよ。

加えて今後、この映画研究会のブログを更新するのは難しいと思うので、僕が書くブログはこれで最後になります。後輩で書きたい奴がいれば、引き継いでもらいたいのですが。誰かいないかな。「あ、あの映研ブログだったら読んでるよ!」みたいな声があまり聞こえてこない不毛なブログなんですけどね。

 

 大学に入ったんだから、せっかくだしサークルにでも入って、華やかなキャンパスライフを謳歌したいな、とか考えている新入生が、もしかしたらこのブログを読んでいるかもしれないと思って書いている。と、言ってもここ数年はずっと僕が書いているので、ほとんど書くことがない。気になる人は去年の春に書いたブログを読んでくれればいいとさえ思う。

 しかし、そんなこと言っていたら一年間何も進歩していない人間みたいじゃないか。だから、今年は今年のことについて書こう。それに、黒歴史を漁られるのも嫌なんだよな。

 

 「コロナ禍」になって久しい。金原ひとみが書いた「アンソーシャル ディスタンス」が第53回谷崎潤一郎賞を受賞したのが去年の夏。それから一年経った。そして今はウクライナにロシアが侵攻して、戦争になってる。これが21世紀か。ドラえもん、いないし

人新世の人類は退屈とは無縁な様でいて、僕たちの環世界には内在的な退屈が横臥している。僕らを退屈な時間から隔ててくれるのは、この汚い部屋の薄っぺらいドアなんかじゃない。それこそ、映画や小説みたいな芸術なんじゃないかな。ショーペンハウアーもそう言ってるし。

 まぁ、あと散々酔える量のウイスキーと拳銃があれば現世から解脱できるな。僕がもしウクライナで戦争してるロシア兵だったら、傍らにある拳銃とかで自殺するのかなとか考える。殉難は美談になるかもしれないけど、清潔なシーツと熱いシャワーがあるなら、イデオロギーの奴隷になるほうが楽だよな。ロシア兵と話したことないから知らんけど。

 話が逸れてしまった。新入生に向けて書きたかったのに、いつもみたいに独り語りをつらつら書き連ねてしまった。結局のところ僕が言いたいことってのはいつもと同じで、芸術は偉大だってこと。それと、何かに所属してる人間は楽だってこと。これは関係ないけど。

 

 なんだかんだ言ってるけど、僕みたいな粗忽者が新入生に言いたいことなんて、おこがましいから別に無いかな。大学生の4年間なんてあっという間だし、誰かに言われてその通りに過ごすなんてつまらないだろ。真面目に単位とって卒業したり、サークルの方が楽しかったり、大学辞めたり、旅したり、映画撮ったり、小説書いたり、なんでもすりゃいいや。人生においての重要な瞬間を捉えて決断すれば、あとは何してもいいんじゃないすか?そのときの決断を信じて生きればいい。ハイデガーがそう言ってた。まぁ、僕らは死ぬときが来るまで人生を楽しみましょう。

 

 最後に僕が、いつもこのブログを読んでくれている人達に言いたいことでも書こうかな。

 

 これまで飽きずに読んでくれてありがとうございました。先輩から受け継いで、数年。たまに気が向いたら書く、みたいな感じだったけど。これからも映画研究会を温かい目で見守ってあげてください。

 僕は生きるために書くしかないので、書くために生きるしかないので。また、長い旅の先で、どこかの街の喫茶店とかで会ったら。そのときは、一緒に遊びましょう。煙草臭かったら、ごめんなさい。

ありがとうございました。お疲れ様です。

 

 映画研究会としてブログを書くことはやめるんですけど、一応noteで気が向いたら文章書くので、暇だったら読んで下さい。以下URLです。

https://note.com/kaki_marumaru

2021年6月1日火曜日

部室がない!免許もない!

  今日は休みだから一日中寝てやろうと思ったのに、一度も拭いたことない窓から差し込む朝日が眩しくて、アラビア人を殺してやろうかと思った。梅雨入りしたのだから山陰らしく雨でも降れば可愛げも情緒もあるのにと、腹が立つ。カーテンの無い窓から差し込む光を遮るには、とりあえずシーツを物干し竿に掛けてやればよいではないかと思い立ち、朝っぱらから洗濯機を回して柔軟剤の匂いで部屋を埋め尽くしてやった。気分がいいからテスト勉強なんて放っておいて、散歩に出かけよう。そうしたらゲーテの「ファウスト」みたいにメフィストフェレスに会えるかもしれない。同じ「光を愛せざるもの」として打ち解けられるだろう。こんにちは、映画研究会の柿原です。よろしくお願いします。散歩に行く前にブログを更新しようと思いまして、今こうして書いている次第にございます。

 何故だかしらないが、今年は映画研究会にかなりの人数が入ったので、部室も夢じゃなしということで、サークル棟に映画研究会の部室を設けたいと考えていた。しかし、先輩の話によると秋まで待たなければいけないらしい。それまでは今の人数を維持したい。もしくは、これからもっと入部してくれてもいいのだけれど。そうすれば部室で麻雀を打ったり、いらない本をかき集めて作った「映研図書」を設置したりすることができる。もちろん、撮影機材の置き場にも困らない。「夢は夜ひらく唄っても、ひらく夢などあるじゃなし」と言ってたのに、映研の未来は明るいのではないか。その頃には僕はいないのだけれど。相変わらず僕の将来はわからない。「サルトル、マルクス並べても、明日の天気は分からねぇ。」って感じです。

 「私が哲学の話をすると、相手は大抵嫌な顔をする。」ことが対他存在の責任者である僕には分かってきた。彼等のまなざしに嘔吐することはないのだけれど、部屋に一人でいると孤独の果てに吐き気を催してくる。何度もこのブログ内で、大学生の孤独について書いているが、嘔吐するほどになれば逆に楽しくなってくる。友達や話相手がいなくても、本や映画を通して自己と対峙することができる。つまり、自分の知る限り最も理解のある人間と会話することができるのだ。先に言っておくが決して病んではいない。精神は安定しているし、寧ろ健康的な方だ。人間はどんな社会に属していても大抵は他人と関わりあいながら生活しなければならない。それは不断のストレスとしてこれまで自分を苦しめていたのかもしれない。こうなったのは先月、一週間ほど地元の友達が泊りに来ていたことが関係していると思う。彼が一週間もこの狭い部屋にいたことで、僕はかなり精神的に参っていたし、とにかく早く独りになってゴダールの「イタリアにおける闘争」を観たかった。やれ「また、共産主義か。」と彼に揶揄されるのは腹立たしいし、彼と口論したとてアウフヘーベンすることはないというのは長年の付き合いで知ってる。そんな奴に行動を制限された環境から解放された今、独りがとても楽しい。寂しさの静寂は音楽が埋めてくれる。浅川マキのアルバムでも聴きながら散歩に行こう。鳥取駅まで行ってギターの弦を買って、岡林信康のフォークソングでも歌おう。ウッディアレンみたいに昔を羨むばかりじゃいけないんだろうけど、資本主義経済の国際化でアイデンティティを見失う前に。モラトリアムが守ってくれている間、諦念はいらない。

2021年5月3日月曜日

コーヒー3杯と映画4本

 最近、散歩をすれば栗の花がくさい。GWになりましたが、どこにも行けないし、何もすることが無いので部屋にこもって映画を観たり本を読んだりしています。何もすることが無いというのは厳密に言うと違うんですけどね。勉強しないといけないし。

どうも映画研究会部長の柿原です。宜しくお願いします。なぜかまた暫くの間、部長をすることになりました。できれば誰かに代って欲しいです。誰か他に年下との付き合い方が上手くて、それがストレスにならない人間に。映画に詳しくなくていいから真面目な人間に。

 それはともかく、今年も何人か新入生が入部したらしいです。今のところ全体として17人ほどですが、これまでの歴史で一番多いらしいです。それでいて、毎回の鑑賞会に全員が集まるようなことがあれば優秀なのですが、それは多分叶わないと思います。

 今年の新入生が一体何を期待して入部したのか知らないが、結局のところサークル活動の本質とは僕が思うに人間関係でしかない。その一種の道具として映画がそこにあるだけだ。映画をただ観るだけなら一人の部屋で観ればいいし、ただ良い映画を撮りたいならどこかの芸大や専門学校に行って勉強するべきだ。それに、映画好きな友達が欲しいだけなら平日の映画館に行って一人で来てる奴に話しかければいい。それが出来ないからサークルに入るんだろう。地獄とは他人のことだとサルトルは言っている。人間関係なんて煩わしいものだが、ときには孤独を忘れさせてくれる。もしかしたら、一生の友人関係ができるかも知れない。行動をしない限りはなにも可能性は広がらない。今年の映画研究会に入部を決意した新入生が自分の行動を後悔する日が来ないことを願う。この先の大学生活には不安があるかもしれない。不安とは自由だ。そうサルトルは言っている。

 

 今日の朝、最悪な夢から覚めて、長いシャワーを浴びて、最悪な味の煙草を吸った。外は雨が降っていて、窓を開けて吐いた煙が水滴の間を縫って空気に溶けていった。悪夢を引きずりながらコーヒーを飲んでも気分が上がらなかったので、今日は一日中映画を観ることにした。

昨日も4本ほど映画を観たが、今日はどれくらい観れるのか。リストに入れたままになっている映画を消費しなければならない。部屋の隅に積んである本なら旅行に持って行けば少しは片付くが、映画はこういう精神状態のときに観ると良い。二日酔いの朝か、失恋した夜か。または、それ以外の最低な休日。

無意識のうちに「夢やぶれて」を口ずさんでいたので、まずは「レ・ミゼラブル」を観ることにした。誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。知らないなら「あゝ無情」という題名で知っているかも知れない。どちらも知らないという奴は自らの無知を恥じるべきだ。かの有名なフランス人作家、ヴィクトルユーゴ―の同名著書が原作である。僕は映画の感想を書くのが苦手なのであまり内容には触れないが、この映画は観る度に泣いている。

泣くとセロトニンが分泌されるらしい。「レ・ミゼラブル」を観たおかげで、少し気分が落ち着いた。次は何を観ようかとリストを眺める。なんとなく軽い気持ちで松本清張が原作を書いた「砂の器」を観ようと決めた。この前観た「鬼畜」は面白かったし。途中で「あ、御前様の人だ。あ、寅さんじゃない渥美清、久しぶりにみたなー」と、思いながら見続ける。日本の映画で、それも刑事ものの映画を観ることはなかなかなかったのだけれど、意外と面白かった。ただ二時間半は少し長く感じた。

 この前、鳥取にしては珍しい風の無い日。先輩と意味もなく夜中の賀露海岸へ行って少し映画の話をした。ロマン・ポランスキー監督の映画。それを思い出した僕は、次に「ローズマリーの赤ちゃん」を再生した。ポランスキーが初めてアメリカで監督した映画だ。アイラ・レヴィンが原作を書いているホラー映画。悪魔教徒の話だというのは先輩から先立って聞いていたが、前半にあるミア・ファローが幻覚の世界に堕ちていくという描写がサイケデリックな映像で表現されていてすぐに心を掴まれた。妊婦のノイローゼなのか?悪魔教徒の陰謀なのか?最後まで分からないがとにかく胸糞悪い。最近観た映画の中で最高の映画だった。この映画も二時間以上あるし、1968年に公開された映画なのに、全くそれらを感じさせないほど面白い。この映画の公開後にロマン・ポランスキー監督が結婚したシャロン・テートが妊娠中、マンソンズファミリーに惨殺された話を知っていればまた面白いかもしれない。シャロン・テートに関しては2019年公開のクエンティン・タランティーノ監督の映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」を観れば少し分かると思う。

 せっかくだから、前から気になっていたポランスキー作品を観よう。別の知り合いに「毛皮のヴィーナス」を薦められていたんだ。「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに女性が追い詰められていって精神を崩壊していく「反撥」という映画も流れで観たいと思ったけど、同じような映画を立て続けに観たらこっちが変になる。それに「毛皮のヴィーナス」はマゾヒズムの語源になったレオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホが原作を書いてるなんて魅力的だ。サディストの語源となったマルキ・ド・サドが原作を書いた「ソドムの市」も面白い映画だったし、性的倒錯者の作品に外れはない。という訳で、次の映画はフランスで制作された「毛皮のヴィーナス」。90分くらいの短い映画だし、2013年制作なので映像としてかなり見やすい。ここに詳細な感想を書くといかに自分自身が変態であるかということを露見させかねないのでやめておこう。一言でまとめるならば、これも最高の映画。深夜の暗い部屋で1人、鑑賞することをお薦めする。

 この映画で、ポランスキーの嫁さんでもあるエマニュエル・セニエの魅力に気付いたので「赤い航路」を次に観ることにした。その後はポランスキーの「袋小路」「反撥」。結局のところ僕はこのGW前半でポランスキー映画にハマってしまったのだ。気付いたら最低な目覚めを引き起こした夢のことなど忘れてしまっていた。

 

 今回はこのあたりで終わっておこう。今週読んだ小説の話をすればまた長くなってしまう。コンラートローレンツの本を読んで犬を飼いたくなったり、サルトルを読んでまた実存主義に傾倒していったりっていう話はまた今度話します。お疲れさまでした。

2021年4月1日木曜日

小さきものへ・新歓についての悩み

 どうも、皆さん。鳥取大学映画研究会、前部長の柿原です。現部長はたしか白濱君だったと思うのですが、ブログを書く担当は僕になっているので、白濱君とはまた別の機会に会ってください。春休みももう少しで終わることだし、入学式なんかもあったりして、もう新学期が始まろうとしていますね。この時期になれば、例年は正門前あたりに大学デビューを図った新入生の群れがあるのですが、コロナの所為で今年は観測できませんね。6年間以上の制服生活から急に慣れないお洒落をして、女子から連絡先を聞き出そうとしている金髪君は、この季節の僕の愉しみだったのですが。

 映画研究会に少しでも興味があって、日本語が少しなら読めるという新入生が何人か、このブログを読んでいることを期待して、いまこうして書いています。今回は多少新入生に向けた文章を書きつつ、先日あった新歓についてのオンライン会議の報告やらなんやらをしたいなと、思っています。宜しくお願いします。

 

オンライン会議に至るまでの道程として、後輩がTwitterにて「#春から鳥大」とツイートしている新入生に対して、片っ端から見境なくファボするというようなことをしていたが、それでは全くと言っていいほど成果が上がらなかった。まぁ、それはそうだろう。毎年、多種多様なサークルが新入生の新設アカウントをフォローしているが、新入生の興味を惹くことができるのは一部の限られたサークルのみである。そのサークルの本質とは、教養の為の知的活動ではない。それらは決まって、異性間交流、先輩から後輩への過去問の受け渡し、有象無象が入り乱れる飲み会などに精を出しているようなサークルである。それらは幼気な新入生にはいかにも輝いて見えるのであろう。僕は悲しい。

毎年いったいどれほどの新入生が、楽しそうな活動内容に惹かれ、ろくに話せもしない女子の視線が入り乱れる新歓コンパの中、あわや彼女でもこのサークルで作れるのかもしれないなどといった甘い期待のもと入部し、結局同種の男仲間すら作れずゴールデンウィークあたりにサークルを辞め、孤独なソーシャルゲームの世界へと導かれ、無為に学生生活を終えてしまうのだろうか。僕は非常に悲しい。彼らが就活生になったとき、エントリーシートは空白である。

 

 話が少しばかり逸れてしまった。オンライン会議の様子といっても僕は寝ていて、参加できませんでした。なので、後日後輩と先輩から聞いたことを総合的にまとめて書きます。

 後輩の話によると4月からオンライン新歓みたいなものをするらしいのですが、誰もオンライン新歓というものが何なのか理解していないので、一体どんな仕上がりになるのか楽しみです。他のサークルと比べれば、意外とオンラインで活動がしやすいサークルの一つだと思われる、我らが映画研究会ではありますが、これまでの映画鑑賞会などの活動をどのようにオンライン上で行うかなどという課題はまだいろいろとあるなと思います。

 原則として、大学の授業がオンラインで行われる限り、全サークルの活動もオンライン上に限られるなどといった通達があったのですが、他のサークルはどうしているんだろう?最近気づいたことには、映画研究会というサークルは部室もない弱小サークルだと自負していたが、それはもしかしたら間違っているのかもしれないということです。部室がないので、部員の部屋を部室代わりにしているのは希有なことであるが、去年まで、部室の枠を狙っていたライバルの手品同好会だかなんだかは潰れてしまったらしいし、女子のバスケットも全然人がいないと言ってたし、麻雀同好会とかいうのも活動しているかどうかわからないし、文芸部は最近見かけないし。ここだけの話だが、マーレの前に置いてあった文芸部の冊子を一度手に取ったことがあるが、あれはまさにショーペンハウアーが「読書について」という本で何度も苦言を呈していた文章の最たるものであると感じた。まぁこんな話は置いといて。部員がいまのところ12人もいて、比較的きちんと活動している映画研究会は、文化系サークルのなかでも優秀なものであると認めざるを得ない状況である。だから、新入生諸君!その胸に宿す華やかなキャンパスライフという希望の芽を立派な一樹の巨木へと成長させられる園は、我らが映画研究会という土壌なのかもしれないではないか。どこのサークルに入れば大学生活という最後の青春を謳歌できるものかと、考えあぐねている新入生で、今!このブログを読んでいる君!の期待ならば僕は裏切らない!!

 

ここからは僕の春休みの話を書くので、全く興味が無いという人はここでブラウザを閉じて、もっとアナタの人生にとって有意義なものであると信じる本を読んで下さい。お疲れさまでした。

 

コロナ禍なのにも関わらず旅行に行きました。一人なら良いだろうというような安易な考えです。春休みが始まってしばらくの間、実家のある街へ帰っていたのですが、都会の人混みは精神を疲弊させるだけでなく、思索に耽る暇もないのです。だから、閑散とした山陰のワンマン列車に揺られて、九州は長崎県へ行きました。道中、寂れた漁村や有明海の静かな海を眺めていると、何年も頭の中に積もった情報の山から新しいものを生み出せるような気がしてきます。けれど結局、眠気の波の中で揺れて消えて行くので、有形無形のそれらがまた表面化して、人生の退屈と苦悩をぶち壊してくれる日が訪れるのを期待しながら車窓の流れる景色を眺めることしかできませんでした。

僕は、これといって旅先で何をするか、何を見るか、何を食べるか、などという事を全く決めずにただひたすらに目的地を目指す、という旅行をします。現地での計画などほとんどありません。アーケードに覆われた商店街の外れにある喫茶店で終日、時間を潰すこともあれば、天気の頗る良い日なら目的の無い散歩をすることもあります。それは梶井基次郎「檸檬」にあるような妄想のようなものです。とにかく、現地についてしまえばあとはただ、帰る日を待つだけなのです。だから僕は車窓を眺めながらまた、次の旅行先を考えていました。

 昔、と言っても二年前くらいの話ですが、カメラマンの先生にたまたま実家の近くでお会いした際の会話を思い出しました。先生は「実は、君に会って話がしたかったんだよ。街でこうして会ったのもただ、タイミングが良かっただけじゃないと私は思う。」というようなことをおっしゃられていました。そしてまた、続けて「これは、私が君に会いたいと思っていたことで現実化した邂逅であって、これは私の力なんだ。若い君は笑うだろうが、人生にはこういうことがよくあるものだ。」と言って、その後先生は、僕を近くの喫茶店へ誘ってくれました。

 話は電車の中に戻ります。僕はLINEの不在着信が一件あることに気付きました。それは、比較的新しい友人からの連絡でした。要件を尋ねてみると、彼は一緒に群馬に行かないかと言いました。僕は以前から前橋市にある「萩原朔太郎記念館」が気になっていたので、ふたつ返事で了解しました。こうして次の旅の目的地が決まったのです。記念館へ行った僕がどれほど感動したか、という話をすると長くなってしまうので省略しますが、とにかくそのときの僕は、これまでの目的のない放浪というのはここへ来るためにあったのではないだろうかと思うほどでした。そして僕はあの先生の言葉の意味を少し理解したような気になって、帰路についたというお話です。

 

 ここまでブログを飽きずに読んで頂いてありがとうございます。今回は少々長くなってしまいました。もし、新入生の方がこのブログをここまで読んでしまったのであれば、かなり疑問に思われることでしょう。「あれ?これは映画研究会の活動報告ブログではなかったか?それにしては、関係のない話題が多すぎるぞ?」その疑念を胸に抱いて生きて行ってください。いつか誰かと共有できるかも知れません。それでは、また次の日まで。お疲れさまでした。

2021年2月25日木曜日

時には映画の話を

  風強いよな、鳥取!寒いと思ったら暑いし、暑いなぁと思ったら寒い!ってか花粉症やばい!みたいな日が続いてますが皆さん、どうお過ごしでしょうか。俺は京都に帰ります。帰りたいので。こっちにいる高校の同級生が一緒に乗せて帰ってくれるみたいなので便乗する予定です。大学院に進学する予定のそいつに車中で「お前は将来どうすんの?」って聞かれるのが恐怖でしかないけれど、強い心を持って頑張ろうと思います。俺が一番聞きたいよ。将来何するんだろうな~。どうも、映画研究会の柿原です。宜しくお願いします。

 春休みに入って成績発表も終わったので、一日に映画を二本以上観ることを目標に生活をしている。三月は一人旅行を慣行しようと思っているので、自分で決めたノルマを達成するのは二月の内にできるだけ沢山観る必要がある。幸いにも観たい映画は山ほどあるし、いまどきレンタル屋に行かなくても配信サービスが二つもあれば、一歩も部屋から出ずに映画を観続けることが出来る。一本2時間弱の映画を観続けるのは体力を使うので、B級映画からフランス映画かロシア映画(エイゼンシュテインの髪型はデビットリンチと似てる)、サルでも分かるハリウッド・アクション映画というように見る順番が大切である。立て続けにシリーズものを観るのは大変なので、とにかく単発の一本で完結する映画ばかりを観る。YouTubeにあるような有名監督が学生の時にとった短編の自主制作映画などは5分から10分程度で、風呂に入りながらでも3作品ほど観ることができるが、探すのが大変だし、字幕が英語しかないものが多いので、そんなに数多く観ることはできないという欠点がある。映画産業、映画という芸術が確立される前時代の黎明期に撮られた映画もYouTubeなどで観ることが出来る。そういうのは大体5分にも満たないものが多く、ただのホームビデオのようなものであったり、陳腐なトリック映像であったり、とにかく現代の映画の形をしていない。今は誰でもスマホですぐに映像を取ることができるが、昔はえらく大そうな機材をもちよってつまらない映像を取っていたんだなぁとか思う。

 Filmarksを備忘録として使って何年か経つんだけれど、素人の映画批評を読むとムカつく。特に自分の好きな映画の一つである「ファイトクラブ」の批評文を長々と書いている奴は、「ホントにファイトクラブから何を学んだんだ?」って言ってやりたい。映画を一本しっかり観てから批評を書いている奴は100光年譲っていいとして、「残酷過ぎて途中までしか見れませんでした。」とか、「退屈だったので、途中で観るのを辞めました」とか書いている奴はなにがしたいんだろう。馬鹿なんだろうか。「ワルキューレの騎行」だけを聴いて、「ニーベルングの指輪」の全てを理解した気になっているような愚行。ワーグナーとニーチェとショーペンハウアーに謝れ。資本主義が芸術を貶めていると思っていたが、こういう似非映画評論家を気取っている奴らに映画は殺される。なんかつらつらとこんなことを書いているが、「そういうのは読まなければ良いんじゃないですか?」って言われるのは分かっている。まぁ確かに、お前は正論だ!

 観たい映画とはまた別に名作と呼ばれる映画であったり、その作品から映画が変わったと言われるようなものだったりを観ることにしているのですが、名作が全て面白いとは限らないなーって思う。まぁ結局好みなんだよなっていう話はよくしているんだけれど、それだけじゃない。これまでの映画を変えた作品というのは、それ以降にその作品以上に分かりやすく、大衆向けの娯楽映画として完成されたものが大量に制作されているので、それらの映画を観た人間からすれば「なんか分かりづらいし、つまんねぇな。」っていう感想を抱いてしまうのは必然であるような気がする。一方で「この時代にこんなことができたのか。」っていう映画の観方もあるかもしれない。しかし、その観点は「映画史」の一部として作品を論ずる上では重要かもしれないが、単純に「映画として面白いか?」という話の上では全く関係がないし、寧ろ事前にそのような知識をもって作品を鑑賞すると邪魔になると思う。そんなことは素人が知らなくていいんだよ。君がその映画を観て感動したっていうだけで全てなんだよ。退屈な人生を一瞬でも忘れられたら、他のどんな名作よりも最高の映画なんだよ。知らないけどさ! 

なんでノルマを自分に課してまで映画を毎日観るようにしているかというと、いろんな理由があって、折角の春休みを無為に過ごしてしまうのではないかという恐怖から免れる為っていうのもあるけど、まだ観れていない作品の中に人生最高の時間があるのかもしれないという可能性を信じているからっていうのもあるんですよね~。それが5分の短編映画かもしれないし、7時間の長編映画かもしれないしさ!

 

今回はこんな感じで終わることにします。コーヒーを飲んで、カフェインを体に入れないとボーっとしちゃうよ!脚本書かないといけないのになにやってるんだろう!最後まで読んでくれた人、ありがとうございます。君がまた読んでくれるなら、俺もまた書こうと思います。散歩行ってこよーっと。

2021年1月28日木曜日

うるせぇ!将来の話すんな!

  こんにちは、最近ブログを観ている人があまりいないようで書く気にもならないのですが、それでも数人の続けて読んでくれている希有な人に向けて書ける間は続けていきたいと思っています。いないと思いますが、今回から読んでくれている人から引かれない文章を心掛けていきたいと思っています。まぁ無理だと思いますが。

挨拶が遅れてしまいました。映画研究会の柿原です。これまで部長として文章を書いていたのですが、来期から部長が変わったのでもう部長を名乗れなくなってしまいました。それならば、次期部長がこのブログも更新すればいいのではないか?と、思った読者諸君は賢明である。しかしながら、「ブログの更新については引き続き柿原先輩がやってください」と、言われたので、今日もつらつらと駄文を書いている次第でございます。こんな書き方をすれば「仕方なくブログを更新しているのか!君は!」と、思われるかもしれない。しかし、それに対しては「そうではないのです!」と、真摯に答えたい。特に何も考えずにキーボードを叩いて、普段のストレスの捌け口となってしまっているこのブログをあまり手放したくないというのも俺の本心なんだよな。

 

 もうじき2月になる。と、いうことは春休みだ!わーい!わーい!! でも、そんな子供みたく手放しで喜んでられない。単位取得の為にテスト勉強だのなんだの。レポートを必死になってやったり、大学図書館に本を借りに行かなければならなかったりする。それに加えて俺の場合は、後輩が撮ろうとしている映画の脚本の執筆を進めなければならないという課題もある。多分、この映画が学生として撮れる最後の映画になるのかもしれないと思うが、なんだかんだ貧乏暇無しでやるべきことが山積みになっている。あー喫煙可能な喫茶店で、一杯400円くらいのコーヒーを飲みながら、友達とおしゃべりしてたあの生活は? 時間が無限にあるように感じてたのに、、、現実は辛い。このまま行くと近い将来、つまらない労働の日々に追われるのか。人生なんていかに儚いものなのか、全ては退屈と郷愁の中に溶けていくのだ。生まれるときも死ぬときもなぜ金がかかるのか、勝手にさせてくれ。人間なんて存在そのものが不条理だな。

 話題が逸れてしまったが、書き直す気はない。無理やり本筋に戻す。テストっていう現実から逃避するために脚本の続きを書くが、こちらも進展がない。どうも文章を熟考してしまう。ならば楽しいことを考えて、空想に逃げよう!そうだ!春休みになれば、日本中を放浪できるから頑張れるわ!って訳にもいかない。コロナで緊急事態宣言が出てるし、実家がある京都でさえ帰れるかどうかわからない。大卒の官僚が集まって「緊急事態宣言は2月8日までだ」と、言っているが延期されたりするかもしれない。今日の新聞では国内でも新型コロナのワクチン接種が行われるみたいな話が書いてあったが、どうなるかなー。どうも不安定なのは俺の精神状態だけではないらしい。何も考えずにふらふらしてたいな。

 

 昨日の深夜に地元の友達と電話で話した。同級生は今年大学を卒業する奴ばかりで、大学院へ進学する奴もいるが、大体はどっか「適当」に就職するらしい。俺には友達が少ないので、電話先のそいつから最近の同年代の動向を確認するしかない。最近はそんな話ばっかりだ。その友達自体は卒業後どうするのかというと、就活しないで、そのへんの界隈では有名な京都の劇団に入りながら、自分の劇団を立ち上げる機会を伺っているらしい。なんかいつまでも青春している奴だなーっと、いつまで経ってもチャランポランタンな自分を棚に上げて思った。そいつの知り合いで、高校の同級生だから俺も顔は知ってるがそんなに仲良くない奴がいて、そいつは公務員になるという話を聞いた。そしてなんか二人で笑った。「公務員なんてつまんねぇよな。」「夢が無いよな。」「社会に迎合してなんになるんだ。」

笑ながら「夢なんてどこにもないよ。」って言いかけたけどやめた。めんどくせぇから。そうだな。偉そうなこと言っても「社会」は俺達を知らない。無名であることと存在しないことは違うけれど、どこかそんな思いがふつふつと湧いてきた。そんなに面識もないけど同じ校舎で同じ時間を過ごした奴が、今年の春からは立派に働いて税金を納めているのかと思うとやりきれない気持ちだわ。地元の繁華街にはスーツを着た立派な「大人」が歩いている。「やりがい」「夢」「収入」「安定」。人生で重要なことって何なんだろうなって考える。1人で真剣に考えて1人で笑った。「何歳なんだよ。」花粉症の季節はまだ先なのに気が早いな。

 

それじゃあ、今回はこんな感じで。映画研究会と全然関係ないじゃん!って思ったそこのあなた!ちょっとうるせぇでございますよ。また暇潰しに読んでもらえたら書いてる側からすれば嬉しいです。お疲れさまでした。

2021年1月13日水曜日

いつの間にか、もう新年だ。

  新年の挨拶も遅れてしまいました。と、言っても誰も気にしてないであろうことですが。一応、あけましておめでとうございます。部長の柿原です。今年も鳥取大学映画研究会を宜しくお願いします。新年のムードも終わったけれど、なんとなくブログを更新してみようかなと思った次第でございます。

先日、映画ナタリーを見ていたら後輩が映画を作って参加したらしい「突然失礼致します」とかいう学生映画のプロジェクトが取り上げられてて、俺個人はあまりいけ好かない連中なのだが、あのようなものが学生の理想的な表象としてメディア関係の中にはあるのかもしれないと思った。

 そんなことは別にどうでもいいのだ。今日俺が書きたいことは最近の鳥取は寒すぎるという事。この街に来てから何年か経つが、俺が知る限りここまで雪が降ったのは初めてだ。それに加えて洗濯機が壊れた。連日、深夜には氷点下になるという気候が水道破裂を招いたからだ。そうなるとコインランドリーに行って一時期を凌がなければならない。車の免許もないので、路肩に積もった雪をサンダルで踏みしめながら、大量の洗濯物を入れた登山用のリュックを背負って、駅前まで歩いていく。さながら気分は雪山登山である。アイゼンを持ってたら装備したいが、そんな気の利いたものは持ってない。それにしても、アスファルトで摩耗したサンダルはよく滑る。そんな日に限って空は晴れていて、日光が凍った雪に反射して眩しい。だのでサングラスを掛けて家を出たのだが、結局出来上がったのは不審者である。いかのおすし。もう、雪を喜べる年齢は過ぎたのだなぁとしみじみ感じる。おこたに入って、カーテンの隙間から、音を立てずに積もっていく雪を眺めるのが一番良い。外にでるなんて怖い、怖い。映画観て寝ようぜ。

 

 ここからは読なくてもいいけれど、一般的な大学生の年末年始の過ごし方を参考として書いておこうと思う。皆さんもこれからの学生生活を充実させるため、後学のために役立てて頂ければ幸いである。

先輩から、周りは獣医学科ばかりで話相手がいないし寂しいから来てくれと、言われたので年末年始は神社でバイトする予定だった。言われた通りの日にバイトの面接に行ったのだが、その時からこの連中に囲まれて労働(禰宜さんには奉仕って言えって言われたけど、スケベ面がムカつく奴だった)をしないといけないのかと軽く絶望した。神社へ向かう車の後部座席に座っていた奴が、やけにテンションが高くて気色悪かったからだ。まぁでもどうにかなるだろうと思って、当日を迎えたわけだが、その日目覚めたときから嫌な予感がしていた。いつも通りサンダルを履いて、外界と孤独を隔てる薄いドアを開ける。すると、外は一面雪に埋もれていた。まず、ここでサンダルからブーツか何かに履き替えなかったのが間違いの始まりである。何故意固地になって、ツマラナイ拘りを捨てずにサンダルなど季節外れのものを履いて出たのか。その理由を説明するのは面倒だし、それ以前に聡明な読者諸君の貴重な時間を奪ってしまうのも心苦しいため、詳細は省略させていただく。

吹雪で数十メートル先の道路も見えない中を先輩の軽自動車が走る。助手席に乗った俺は既に文句を垂れていた。年明けをこんな田舎の神社で迎えるよりも、誰か気の合う連中と暖房の効いた部屋でゲームをしながら迎えたいと、確かそんな事を言っていた気がする。

 神社に着くと、平地より山側にあるため雪が異常に積もっていた。京都の都会育ちからすればそれはもう異常でしかないのだが、田舎の世間知らずからすればそれは普通らしい。ニュースでしか見たことがないような風景の中、車から降りる。サンダルでまだ降り積もったばかりの真新しい雪を踏むと、隙間から粉の様な冷たい雪が入り込む。帰りたい。巷に雪が降るように、わが心にも涙降る。

 社務所に入って「わーい、巫女さんばっかりだー」「あれだよね、めっちゃ微妙な顔の奴でも可愛くみえるよね。」と、喜んでいるのもつかの間。新年を雪塗れの神社で迎えようとする奇特な近所のヤンキーやらなんやらが集まってきた。そしてまた雪もより一層降り出す。「もう嫌だなー、すき焼き食べながらガキ使観たいな―」と思っていたら「雪かきをしろ」と言われた。足はサンダル。上着はわけわからん割烹着みたいな白装束。最悪。持ち慣れないし、見慣れない鉄製のスコップで、参拝客が踏みしめた雪が氷になったものを割りながら「もう帰ろう。もう、いいわ。」と心の中で囁く自分がいた。

 そんなに時間は経ってなかったはず。気づいたら遠くから参拝客の若者が一斉に騒ぐ声がした。それに続いて太鼓の音が鳴る。冷たい腕時計を見ると24時を過ぎていた。俺はあっけなく新年を迎えていたのだ。去年の今頃は何をしていたんだろう。今年よりはましな事をしていた気がする。実家の炬燵に入っていたかもしれない。それこそ友達と地元の神社に行ってたかもしれない。覚えてないが、とにかくもう2021年である。騒ぐ参拝客、その中には家族連れがいたり、カップルがいたり、地元の警察、遠くでお守りを売ってる巫女さん。それらの上には絶えず雪が降り続いている。めっちゃ寒い。もう嫌だ。もう二度と来ない。人に優しくしよう。

 左手にスコップを持ち変えて、スマホの画面を見ると友達数人から連絡が来ていた。『あけおめー』。その素っ気ない文章を見た俺は、明日の始発で地元に帰ろうと決めた。


 今回はこんな感じで終わりたいと思います。最後まで読んでくれたみんなありがとな!ってなわけでお疲れ様っす。

 

2020年12月21日月曜日

妄想女子部員ブログ

 先週の初めから雪が降って、大学図書館に本を返しに行かなければいけなかったのですが、足止めをくらっていました。あれからちょうど一週間が経ったのに路肩にはまだ雪がかなり残っています。どこかの誰かが作った雪だるまが近所の駐車場にあります。それが、だんだんと雨で融けてゆく様子を毎日窓から眺めていると、九相図を見ているような気持になるのは私だけでしょうか。

 

 昨日、一昨日あたりに映画研究会の面々が集まって、と言っても感染症対策のこともありますからそれほど沢山は集まれないのですが、映画マラソンというものを執り行いました。私は映画マラソンなるものを初めて聞きました。一体どういうものかと先輩に尋ねてみれば、なにを隠そう一日中立て続けに映画を観続けるというものだと偉そうに言うので、それはまたくだらないことをするなと思いました。映画が始まれば諸々の先輩方は口々に、やれあの監督の映画はなんだとか、この描写は、このカットは、この音楽は、といったように各々の知識を良い気になってひけらかします。はぁ、そうですかと言えばつけあがってしまうのが映画オタクの性というもので、私は無心で字幕を追いました。私も一応は映画好きなので、終わってみれば楽しいものでしたが、部員が増えないのも納得できる所業でありました。映画だけならまだしも、新安保下の学生のようにマルクスがなんだと黴臭い思想を振りまく先輩は迷惑以外の何ものでもなく、私が論駁しようと思えば「君は資本論の本質を理解していないソビエト政府と同じだ」と言われ、ムカつきました。かの先輩には以後控えて頂きたいと思います。早く私の味方になってくれる新入部員が欲しいです。

 

それでは別のお話を。世には「増えるワカメ」というものがあります。私はそれが好きでした。味ではありません。ましてや触感でもありません。私の心を射止めたのは「増える」という部分なのです。実際には乾燥して小さくなったワカメが水分を吸収して再び元のサイズくらいに大きくなるだけなのですが、実家の戸棚にあったそれをお茶碗に入れて、お湯を注ぎ「増える」様を見て悶えていました。なんと愛くるしいのか。「増える」という宣伝文句に偽りなし!誰にも私は止められない!といった感じで増えていきます。植物の成長を短時間で目視しているかのよう気分になります。凄いなぁ。と、無心になってワカメを増やしていました。ゲーム感覚で。そして、増やしたワカメはポン酢で食べます。食べるという行為については当然の結果として伴う責務のようなものでした。私にとって「増えるワカメ」という物の本質は「増える」様を「観察」することにあったのです。

ある日、調子に乗って一袋分の乾燥ワカメを蘇らせる作戦を結構しました。覚せい剤のようなもので、これまでの量では満足できなくなっていたのです。そこから、何故かは忘れてしまったのですが、多分友達に誘われたかなんかで家をほんのちょっと出ました。帰ってきたらワカメはお茶碗から丼にグレードアップした「培養器」からはみ出るほど、ワカメは子供の想像を遙かに超える量になってしまいました。無慈悲にも海洋を漂っていた頃の形に戻ろうとする意志の主張が、私を絶望へと誘うのです。それを見て無力な私は泣きます。さながら、バイバインで増えていく栗饅頭を見ているのび太の気持ちです。こんなの全部食べられない!これは誰にも止められないんじゃないのか?クイーンの名曲が脳裏に流れます(嘘)。食べ物で遊んでた私が悪いんだ。私の責任なんだ!米中貿易摩擦も私の責任なのかもしれない!お母さんに怒られる!絶対怒られる!そう思った私はワカメをトイレに流しました。数時間後、水道屋さんのお世話になることまで予想できるほど、子供の想像力は豊かではありませんでした。それを知ったら谷川俊太郎も筆を折る事でしょう。

 

 今週はこのあたりで終わりたいと思います。冬の空気の中で吸う煙草はとても美味しいので、煙の漂うようにこの街を漂っていたいと思います。そしたらいつかまた会いできるかもしれません。お疲れさまでした。

2020年12月10日木曜日

はじめまして

 みなさま、どうもお初にお目にかかります。

この度突然「君もブログ書いてよ」みたいな感じで流れ流されて、書いたこともないブログを書くことになりました。つきましては私も不定期に更新することになると思うので以後お見知りおきを。

なお「私」が誰なのか?という疑問については、特定されると色々とめんどくさいですし、なによりすっごく恥ずかしいので伏せたままでお付き合いくださいませ。

さて、挨拶もこれくらいにしてそろそろ本文に...と思うんですが、果たして何を書いたものでしょうか。私は他の部員と違ってそんなに映画をたくさん見ているわけでもないし、何か自分のしっかりした思想をもっているわけでもないから、これまでのブログみたいにはかけないし...まぁ、あんまり考えるのもあれなのでとりあえず最近思うことを徒然なるままに書き綴ろうと思います。

寒くなってきましたね。そのせいか分かりませんが、最近人肌恋しくてたまらないんです。つまり寂しい。これまで私生活とか他のサークルでは、自分の立ち回り的に専らひとの悩みを聞くばかりで、人に頼ることができなかったししなかった。

でもちょっと色々あって、その私に期待されている役回りがしんどくなって...でまぁ大きなものに包まれたいというか、こういう時に寄り添ってくれる人がいたらなとか夢見るわけです。

それによく考えたら、もう長いこと自分のパーソナルスペースに他者を入れていないことに気づいたんです。どうりで、心も体も弱るわけです。

結局私の人生には愛が足りていないのです。あーあ、狂おしいほど誰か私を愛してくれないだろうか。

こんな見方によっては軽蔑されそうな、我ながら気色が悪いことを書いてしまったところで今回の私のブログ処女作は、終わりにしようと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。またいつかお会いしましょう。さようなら。るんるん。

2020年12月9日水曜日

ディオゲネスになりたい。

 

今月から蟹旅館のバイトが始まった。もう今年で三回目ということは、鳥取に来てからもう三年が経とうとしているのだ。それに加えて、自分の年齢を考えるともうなんか泣けてくる。子供の頃、教室の後ろに張り出された「明るい未来」という拙い筆遣いで書かれた習字。あの教室に押し込められた生徒の何人が、明るい未来を迎えたのだろうか。成人式に行ってなければ、同窓会にも呼ばれない俺は何も知らない。お久しぶりです、部長の柿原です。オンラインテストもひと段落したのでブログでも更新しようかと思い立った次第でございます。そういえば映画研究会とかあったな、と思って頂ければ幸いです。でもこのブログはほとんど私物化しているので、映画に関係ない話が多いことをご了承ください。

 

社会人という言葉を学生との対比として使う奴が嫌いだ。労働をしているから社会に貢献しているなんていう幻想を抱いている奴こそ社会にそれほど必要のない仕事をしていて、性風俗や土方などといった肉体労働者をバカにしているのだ。まぁ、それは偏見だけど。

確か、なにかの映画で「大学を出てもヒッピーかセールスマンにしかならない」みたいなセリフがあった。それも一理あるような気がする。学費や奨学金の返済から資本主義に辟易して生活を捨てるか、適当に流れで就活して適当な会社で働くのか。まぁ俺の労働意欲というものはここ数年でどこかへ消えて行った。作家として文章だけ書いて生きていければいいのにな。それか中核派や革マル派に入って暴力で社会主義革命を起こすか!いや、それはナンセンスだわ。ナンセンス!この頃マルクス主義などと言えば理解の無い少年少女から蛇蝎視されることもあるが、それこそ資本主義的教育の賜物である。「自由」を掲げる正義の精神にはほとほと呆れる。もうどうでもいいから、全ての健康で文化的な最低限度の生活を投げ捨てて、犬儒派のディオゲネスのようになりたい。そしてボードレールが詩を書いたフリュネに好かれたい。

 

 どうして俺はこの街に、この大学に来たのだろうか。そんな話を昔の俺としていた。部屋にいても隙間風が寒いので、それならもういっそ新しい靴を履いて街へ出ようということになって、ビリーホリデイの「奇妙な果実」を聴きながら夜に歩いた。この街には孤独を邪魔するものは何もない。これまでの人生で人間関係に埋もれて見えなくなっていた自分が表面化している。未熟な精神が理想と現実との間で軋んでいる。自らを殺すために、自己毀損のためにここへきたのか?いや、そう思えるほど固い意志と存在を知覚したのだ。

また歩き疲れてふと頭上を見ると、空には星があった。星座などには詳しくないので、それは一つひとつが確固として存在しているただ綺麗な光の点でしかなかった。この街にはマンションも金持ちもいない代わりに、天気の良い夜は、誰にも邪魔されずに星が見えるんだな。

今回はこんな感じで終わります。最後まで付き合って頂いてありがとうございました。

 

2020年7月22日水曜日

湿気と悪天候に辟易する。


 梅雨が明けたかどうかなんて知らないけれど、雨が降らない夜が続いてる。星が見えるから、クワガタがいるかもしれないからと思って深夜徘徊。ワイシャツ一枚で外に出るとまだ少し肌寒いけれど、自販機では冷たい缶コーヒーしか売ってないので、煙で傷ついた喉に流し込むと、より一層孤独感が増すが、仕方ないと思える。狭い部屋の冷蔵庫の上に置いていたTRIALで買った食パンに黴が生えたので自殺しようと思ったのだが、(実は理由はそれだけではなく資本家や富裕層の為に媚を売って、消費社会に恩恵を与え続け、巨悪が肥えていく様に嫌気がさしたのだが、一学生に出来ることなど皆無であると敗北主義に走っていたのです。)毎月1500人程度自殺している日本では何も珍しい事では無いし、警視庁のホームページに記載された数字が一つ増えるだけで、それ以外に自分の意識が働かないところで起きる事象が思いつかなかったので、このまま存在を世界から抹消するのは癪だなと思い留まった。また、講義が無い日の明け方に酩酊するのも時代を問わず大学生の永久不変の性であり、そこに未知の世界を思慮することによって得られる漠然とした不安懊悩に駆られる不本意な時間を相殺してくれないかと願を懸けるのだが、二日酔いで目覚めた後に頭痛の切れ間から眺める景色には悔恨と嗟嘆の声を挙げずにはいられない。だいたい一週間ぶりです。鳥取大学映画研究会部長とは名ばかりの柿原です。宜しくお願いします。
 「コーヒー&シガレッツ」つながりでジムジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観て、もっと肉欲的な映画を観て人間嫌いを極めたいと思い立ち「失楽園」を観て、やはりどんな描写をしてもお互いにかかずらう動物的な人間というのは醜いものであると思う。先日、不倫や浮気に対して日本人はお互いにバレなければ良いなどとある意味寛容な立場をとっている人が多いという事実に対して知り合いの韓国人が不思議がっていた。1946年にアメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトによって出版された「菊と刀」という本がある。ここでは西洋は「罪」の文化、日本は「恥」の文化であると記されている。僕自身はそれに対してどちらが民族的に優れているかなどということはここで言及するつもりもないし分からないが、日本人はやはり「罪」という本質的なものより「恥」といった表面的なものに囚われて生活しているのではないかと感じることはよくある。だから、浮気や不倫がバレなければ、表面的な問題にならないのであれば気にしないなどという考えが蔓延するのではないだろうか。また、そのようなことが集団主義的な思想や、国の決定に対してあえて背くような態度をとらない日本人の主体性の無さにも表れているのではないかと僕は思う。今日も大東亜戦争における帝国主義的な政策や意味のない総力戦に対しての国民の態度と同じで、コロナウイルス禍における朝令暮改の典型のごとき事案や、大学をはじめとする教育現場の対応などを甘受し、何の主張もとらず、芸能人の言動にのみネット上で騒ぎ立てる現代日本がここにある。安部政権下における保守的かつ敗北主義的政策に対して未来など見出せるのだろうか。この国の将来について懊悩している学生は僕だけでは無いと思う。

2020年7月16日木曜日

生活に埋没して図太く生きたい。


 「おい、地獄さ行ぐんだで!」とは言われなかったが、仕送りと僅かばかりの奨学金でギリギリの人間生活を送っていたので、マルクス主義で言うところの労働という自然疎外を学生である身を削ってしなければならないと考えていた折、先輩からバイトを紹介された。全くもって腹立たしいのは、学生というモラトリアム期間に、本を読んだり映画を観たりする時間を割いてまで金を得ようとしなければ、社会的な存在を認められないという風潮があることだ。しかし、人間にはエゴがあって、共産主義を目指した国が崩壊して、この国のシステムが資本主義である以上、金を持たねば自らの幸福の追求はままならないものであるような気がするし、生きることに固執する微小な欲求を満たすためにも金は必要だし、そもそもの実存に対する疑問というか、惰性でダラダラ生きていることにも辟易しているので、金の為に働くというのも、人間が生きる上で自らの矛盾と対峙しなければいけないことと同じで、甘受すべき問題であるのかもしれない。お久しぶりです。鳥取大学映画研究会の部長とは名ばかりの柿原です。宜しくお願いします。ぶらぶらと独り、夜間に散歩に出て、意味の無い煙草を吸って、意味の無い筋肉疲労によって乳酸が両足に溜まって、いつのまにか意味を感じなくなった人生の、意味の無い時間に、自由という鎖の上で、自由に選択した結果が今現在の自分であるとサルトル先生が言っていたので、また僕も死んだ蛇の目のような目をした人間を見て嘔吐するのも必然であると感じます。とにかくなんの目的もない散歩のなかで、街ですれ違う人間の顔を見てると、全くの生きる気力を失ったような表情をしているのがどこからともなく歩いて来て、またどこかへ行ってしまう。こんな黴臭い田舎の街にいると、主体性のある人生を送ることを諦めて腐って終わるか、なんの才能もない低能で無能な学のない白痴の人生を無理やりにでも肯定して、そのために他人の人生を否定して生きなければならないのかもしれないけど、それはこの田舎に限ったことではなく、この世界に溢れて、また今日も発情して生殖している人間の愛くるしい特徴の一つだと思う。まぁ色々書いたけど、こんなことを考えずに生活に埋没して図太く生きたい。
 知り合いの統合失調性の女性が、フェデリコ・フェリーニが好きだと言うので、僕も「甘い生活」をU-NEXTで観ました。La dolce vita。妄想癖と虚言壁がある女は退屈ですぐ飽きてしまうけど、フェリーニの撮った映画は人間の汚いところがあってずっと見ていられるほど素敵。「道」の劇中で、「君にも、この石ころにも存在する意味がある」とサーカスの劇団員が言っていた。僕は全くそう思わないけれど、夢があって良いなと思ったし、ちょっと泣いてしまったので、誰にも理想があって、夢想する瞬間もあり、誰よりも理想家であるからこそ誰よりもリアリストになるのかもしれない。しかし、こんなことを言えばフェリーニ先生に「すべてのものは現実だから、リアリストもなにもない」と怒られるかもしれない。別にいいや、フェリーニは死んでるから。

2020年3月10日火曜日

敗北主義者宣言、映画愛の話


 はい、どうも。お久しぶりで御座います。鳥取大学映画研究会部長の柿原です。春休みに入って進級も決まって実家に帰って「ミッドサマー」を観て、コロナの所為か日常的に映画を観ないようなやつが映画館に暇つぶしに来てるみたいで平日なのにマナーの悪い客が多くてイラついて、そういえば久々にブログでも更新してみるかと思ってパソコンの電源を付けた次第です。前回のブログを読むと、よくもまぁ映画研究会と全く関係ない事をつらつらと書き連ねているバカがいたので自己嫌悪に陥ってグーグルのウィンドを閉じました。鳥取から青春18きっぷを買って鈍行で京都に帰って来る道すがら、倉敷や岡山、高松を回ってきました。うだつの上がらない大学生が「うだつ」に行こうと思っていたのですが、時間的に回れず、「うたづ」止まりとなってしまいましたが、美味いうどんが食えたのでそれなりに満足しています。「青春18きっぷ」っていうネーミングは嫌いだけど、途中下車して煙草を吸えるというのはとても有能だと感動しながら、知らない土地の空気を紫煙と呼気で汚染して、コロナの所為か田舎の所為なのか分からないが乗客の少ない列車の中、車窓を流れる自然と「人間の生活」を、特にすることもないのでダラダラと眺めていると、いらぬ想いに至りセンチメンタルになって泣けてきました。辛い。あれ?花粉症?

 ところで我らが映画研究会の近況報告なのですが、まぁこれといって大きな動きもなく、撮りたい映画の脚本もあるのだけれど今はその時期じゃないのだと諦め、去年の「夏至祭」の編集を後輩に任せて、僕は家でずっと映画を観ています。鑑賞会をしようにもうちのサークルは代々集まりが悪いという歴史があり、ネットフリックスという文明の産物があるので食料が尽きない限り永遠にベッドの上で過ごせてしまうのです。鳥取は映画が三館しかないフザケた土地で、かつ昔の映画を観ようにも近所のゲオは品揃えが悪いし、本当に映画フリークからすると劣悪な環境、まぁそんなこともないか。
そう思ったのも、先日「映画愛の現在」という顧問の佐々木先生が監督された作品を観てきたからというのもあるのです。自分たちも一応出演しているし、自分が出てるシーンをみるのは凄い嫌だったけど、この作品のテーマには興味があったので観てきました。最近映画熱が凄くて、教養主義に走ろうとしている身からすると感慨深いなぁーって思いました。あと、鳥取シネマの館長に映画愛がないのだろうなっていうのはラインナップ観てると聞かなくても分かるわって思いました。もう一つは、最近知り合って俺の映画熱を上げた友達が結構都会に住んでいて、たまに電話をしたら「こんな映画を観た」とか「これを観ずに死んだら後悔する」とか言われて、観たいと思える映画が増えていくというのは人生が豊かになってく気がして嬉しいのだけれど、聞いてすぐにその作品を手に取ったり、上映されている映画館に赴いたりすることができないのが辛い。極めつけは、先月イタリアの映画監督であるセルジオレオーネの作品が京都みなみ会館でオールナイト上映されてると聞いて、僕は爆発しました。今週は園子音監督作品のオールナイト上映だったとおもうのですがそれは観たことあるし、別に好きでもないしなって思って見に行くつもりはありません。それより「地獄の黙示録」が東宝シネマズでやってるから観に行かないと。

えーとそれとあともう一つ。先日、前期試験の合格発表もあったし、この時期のサークル及び部活において重要な課題の一つとして新歓関連は避けては通れない問題であると言える。そこで我らが映画研究会の新歓なのですが、去年は凄く頑張ったのに結局定着したのは新歓とか関係なく入部した奴だったし、前部長はやる気ないし、現部長の俺は怠惰な人間だし、敗北主義者だし、やっても意味ねぇよってことで、ビラ配りだのなんだのはしないことにします。現時点での考えなので変わるかもしれないですが、兎に角そんな感じです。希有だと思われますが映研に入って華やかなキャンパスライフと無縁な日々を送ろうと考えているような酔狂な人は、Twitter、インスタグラム、ブログ、などのDMまたはそれに記載してあるGmailから連絡していただければ、なんかはしますよってな感じです。本当にノープランで行きます。今年は。

最近ポリティカルコレクトネスに次いでよく俺が使っている敗北主義ですが、やめようと思っても辞めれないので辛いです。低すぎる自己肯定感の賜物ですね。優しくしてください。ちょっと気になっていた子がいたのですが、敗北主義ゆえに行動しなさ過ぎて、ただ時間が流れて、もう絶対無理な状況です。全然LINE応答してくれないし、俺は口頭で話しかけれないし、毛頭無理ですね。はい、今回はこんな感じで。また気が向いたら書きます。最後まで読んでくれてありがとうございました。つらい。花粉症の話です。

2019年9月13日金曜日

I don't care what you say anymore, this is MY LIFE.


 今年の夏期長期休暇中、二度目の帰省で今京都に帰っています。そんなに京都が好きなのかと聞かれれば、はい勿論です。と答えて然るべき。ならなぜ京都を離れたのかと聞かれれば、実家にいる自分が嫌いだからと答えさせてもらおう。山陰線の鈍行列車に6時間揺られて、それが一番金のかからない帰り方だと信じて、車窓から怠惰な日常を眺める。しかし、山陰はトンネルばかりで、いつものことだが腹立たしい。やっとの思いで実家に帰れば、日本年金機構から「大切なお知らせです。」と大きく書かれた書類が届いていて、どこに行っても俺が生きている限り、金のかかる話がこの身に降りかかって来くるのだなと辟易する。はい!どうも、部長の柿原です。帰省するちょっと前、半年ぶりに嘗て親友と呼んでもよいくらいの間柄であった人物から連絡が来て、「帰って来るのなら、久しぶりに大衆居酒屋にでも行って酒でも酌み交わそう。サシで。」などと言われた。俺は酒が好きだし、その肴に昔話をなんていうのは感慨深い。それに、21年間童貞を貫き通した彼に彼女が出来たらしい。無粋で野暮だがいろいろ聞いてみたい。が、とにかく俺はジリ貧、金無し。この選択一つで、次の給料日までの行動が制限されてしまう。それに、彼のように強情で、とにかく面倒くさい人間と酒の席を共にするというのは喧嘩必須。マズローの欲求階層説まで持ち出して討論したり、彼のくだらないプライドを正当化するためのイエスマンなったり、一つ間違えればドブに金を捨ててまで嫌な思いをすることになる。その金を、一週間お気に入りの喫茶店でアイスコーヒーでも飲みながら煙草を吸って物思いに耽る時間に費やすか、知り合いの女の子に細やかながら誕生日プレゼントでも買ってやる金として使うか、今週の13日から公開予定の「人間失格」でも観て、帰りに一乗寺にある「高安」とかいうラーメン屋なのにから揚げの方が美味い店で腹を満たす為の金として使った方がまだいいのではないか。と、自慰の酒と煙草を吸いながら、いろいろ思慮を巡らせる内に、めんどくせぇからとりあえず居酒屋には行きたくない!という訳で、やんわり断ってしまったが、後悔していない。認めないだろうが彼も変わったし、俺も変わった。楽しく話せるのは想い出の中だけで十分だと思うことにして、今日も今日とて代り映えしない明日の為に飯を食って寝る。後になって「友達検定料だと思えば、3千円なんて安いんじゃない?」って言われたけど、もうどうでもいい。「そんなので、友達関係って終わっちゃうものなの?勿体ない。」ってまた誰かに言われたけど、誰が何と言おうと俺の人生だから関係ないだろ。放っておいてくれ。なんか、ビリージョエルみたいになっちゃったな。

 一応だけれども、映画研究会のブログだという事は自覚しているので、映画について触れておくことで、少し罪悪感を和らげたい。「ワンスアポンアタイムインハリウッド」をこの前米子まで行って見に行ってきた。クエンティンタランティーノが10作撮ったら監督を辞めると言っていたが、この作品で2015年公開の「ヘイトフルエイト」に続く9作品目である。俺は映画の批評なんて書けないし、書く意味もないと思われるので書かないが、「映画秘宝」では町山智弘が文章を書いてるし、「キネマ旬報」でも特集が組まれていたので、購入をお勧めしておきます。「映画秘宝」の方は立ち読みしかしていませんが。
阿呆みたいな感想を誰の目も気にせずに書くと、全体を通して、60年代のハリウッドとか、火炎放射機とか、ヒッピーたちに対する執拗なまでの復讐の描写がタランティーノらしくて、安心して観ていられた。LSDでラリってるのに、ヒッピー達をボコボコにしちゃうブラピはカッコいいし、デカプリオがマルガリータ片手にブチ切れして「失せろ!デニスホッパー!」みたいなことをヒッピーに言ってるシーンもなんか好き。主人公のリックダルトンがマカロニウエスタンに出演する為、ヨーロッパで暮らしているシーンでは、机の上に置いてある煙草の銘柄が、ゴロワーズになってて、なんかちょびっと嬉しかったです。京都に帰ってから、二条にあるIMAXでも上映されていたので、もう一回観に行ってしまった。DVDが出たら絶対買いたい。お金無いけど。今期は、見たい映画も多いし、GreenDayが新しいアルバム出して、来日するみたいやからライブに行きたいし、出費が嵩む。バイトのシフト出さないと。もう嫌だ。結局また最後は金が無い話になった。

 9月に入って、もう夏休み終わるなって、また鬱になって、やる気が全く起きない。英語の再履修もしないといけないし、一般教養科目の抽選もしないといけないし、学校始まるやん!行きたくない!来週あたりから浜村でドラマの2話の撮影も始まるから、色々忙しくなって、なんか大学生ぽくなって、周りの社会人から「大学生活楽しんでるね!」なんて言われて全然楽しくないけど、否定も肯定もせずにへらへらして疲れたので、今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。週一回のブログ更新なんて楽勝だろって思っていたけど、これがなかなか続けるのがめんどくさくて。見返りが何かあるわけでもないのに。じゃあ、また来週やる気が起きたら書きます。それではまた、そのときまで。

2019年8月17日土曜日

自分を曲げなけりゃそのうち良い事あると俺は信じてる、寝取られたのはてめぇの所為だろボケ


 何故か分からないが、田舎の夏の時間はゆったりと懶惰に存在している。去る813日くらいから鳥取駅周辺で、「しゃんしゃん祭り」なるものが開催されたらしいが、俺はそういう妙な謂れもない地域活性化を狙っただけの祭りには全くもって興味をそそられないので、そういった類のものは踊る阿呆に任せて、居酒屋のバイトの為に汽車に乗った。ご苦労な事に祭りでの集客を見越して、店長よりも上のポジションの人間が店に来ているらしく、客商売とは思えないほど鬱屈とした厨房には早々から面倒臭そうな雰囲気が漂っていて、そういった状況が苦手な俺はより一層憂鬱にならざるを得なかった。そんな訳で、初対面の居酒屋の仕事以上のことは出来なさそうな、良くて最終学歴専門学校卒だと思われる(凄い失礼だわ、謝れバカ)アホ面に「今すぐ髭剃って来い。」って言われて、「あ?嫌です。」って言ったら、「じゃあ今日は帰れ。」って返ってきて、それからずっと自宅待機している部長の柿原です。宜しくお願いします。
こんな暇になるならもうちょっと京都にいて、実家の窓から五山の送り火でも眺めてから鳥取に戻ればよかったな。そうじゃなくても、下賀茂神社の糺の森で毎年開催される納涼古本市にでも行って、黴臭い古書と戯れ、新しい出逢いを錯覚していた方が何倍もマシだったと思う。ていうかそっちの方が素晴らしいよね。

 独占欲というか、俺の中でそれは所有欲求だと思っているのだけれど、彼女が寝取られたからと言って怒ってくる男の気持ちが全く分からない。結婚して自分の扶養家族として生活している女性が、寝取られたというのなら分かるが、それとは全然違うと思う。
 人間っていうのは単純な物事を、起きた事象から複雑にするのが得意だ。というか、そうすることでストーリーに因って救われるのだと思う。女が寝取られるっていうのは、単純に周りの男より魅力的な奴がその女の前に現れたっていうだけのことだろ。その事実を受け入れられないなんて、負け犬以外のなにものでもない。目の前から去っていくものを追い求めても不格好で滑稽なだけで、自分の人間としての品格を下げるだけだと思う。夏の終わりに漂う一抹の寂寥は美しい。ただ、いつまでも夏を慕っていては、夏休みの終わりになって宿題が全部終わっていない子供みたいなものだ。
 すみません、ちょっと諸事情で腹立ってたんで。

 今週はめんどくさいことがいろいろあって、なんかブログ書くテンションでもなかったけど、毎週土曜日更新ってことにしちゃったので、まぁ今週はこんな感じです。ありがとうございました。このブログを読んでくれているインテリジェンス溢れる諸君は人の恋人なんて寝取らないようにしてください。それではまた。

2019年8月11日日曜日

夏の京都ヒモ男紀行、バター&マーガリン


 今年で21回目の京都の夏なのに、この蒸し暑さには全く慣れない。夏休みの序盤にしか帰省の目途が立たなかったので久しぶりに京都に戻った。日が長くなり、入道雲が眩しく感じるようになると、急に堀川北大路にある純喫茶翡翠のアイスコーヒーが恋しくなる。車の排気ガスも、排水溝の下水も、それが美しい故郷の匂い。犬矢来の前で打ち水してるおばさんや、叡山電鉄に乗ってきた若い浴衣姿を観て、地元に帰ったことを実感する。鴨川に並ぶカップルと懐かしいネオンを眺めながら、路上喫煙罰金地区になった五条通を歩けば、酒に酔った俺の隣にいる「左胸に桔梗のタトゥーがはいった女の子」にも煙たがられた。今のところ批判は受け付けてない。どうも、鳥取大学映画研究会部長の柿原です。宜しくお願いします。
 京都は条例で高い建造物が建てられていないが、大阪まで出向くと、都会の空の狭さを感じる。心斎橋のラブホテルで共に一泊した女が一回家に帰ってシャワーと化粧をしたいって言うから、その間大阪の街をプラプラして、ちょうど時間があったから「ドラゴンクエスト/ユアストーリー」を観た。ドラクエVが最高傑作だと思い込んでいる俺からするとまぁ良いんじゃね?って感じ。流石に二時間以上かかるとは思ってなかったけど、終わった後に携帯電話の電源を点けると、始まって三十分ぐらい経ったあたりから電話が何回か掛かってきていた。
 まぁホテル代も、後に観た「スパイダーマン/ファーフロムホーム」とポップコーンとコカ・コーラとチュロス代も、その晩の飲み屋代も出してもらった上に、別のリーグでもハットトリックをキメてる最低な男だけど、最高だと個人的には思う。でも、女に会いに行くからってほったらかしにした友達に「ひもやん」って言われた。なんでこんなことまでブログに書いてんの笑。

 例えばの話なんて嫌いだけど、今日は例えの話を。例えば「昨日、女にフラれて寂しいから今晩一緒にいてくれ」って言われたら嫌だろ?そう、誰でも代用品になるのは嫌なんだよ。ただ、いつだって誰かは知らない内に誰かを代用品にしてるし、誰かは誰かの代用品である自分に甘んじて生きていることを知らない。無知であることはある種の幸せだと思う。バターって言われてマーガリン出されてもそれで美味かったらそれでもいいだろ?そうじゃないと誰かが言うかもしれないけど、そいつも俺も幸せが何か知らない。
俺がクズなのはよく言われるから知ってるし、それを批判する人間の存在も知ってる。じゃあまず俺を批判する前にその辺の奴とセックスでもして寝ろ。それでも俺を批判するなら、お前がしたセックスがダメだったんだよ笑。
 
 じゃあ今日のところはこんな感じで、見たい映画があるからそっちを優先する。それじゃあまた書くんで、最後まで読んでくれてありがとう。また、暇だったらこのブログのURLを優しく触ってください。

2019年8月4日日曜日

近況報告をするべきなのかもしれない、夏休みが始まらない


 清少納言と同じく、夏は夜だなって思う。最近は晴れてて星が見える日が多く、夜はつまり俺の時間だから、偶にバイトから歩いて帰ったり、散歩に出かけたりすることが増えた。雑踏騒がしく、そこかしこの飲み屋に、酔った幸福を眺めることが出来る都会のネオン街も好きだけど、夏虫が鳴く声を聴きながら、西に沈んだ光が夜空に散らばった天の川を見ることができるのは、数少ない田舎のいいところだと思う。どうも!部長の柿原です。宜しくお願いします。
最近、日本海ケーブルテレビで放映する予定のドラマを「ことるり舎」さんと共同で撮っています。昨日今日も、ドラマのインサートに使うらしい浜村の「貝がら節祭り」の様子を撮りに行ってきました。なんか人多くて疲れた。小規模でも綺麗な花火が打ちあがる、海と山に囲まれた田舎の夏祭りなんて、半都会出身の俺からすると風情があって憧れる。元来子供嫌いの俺だけど、踊っている小学生とか、年寄りだとか、地元に就職した頭の弱そうなヤンキー夫妻などを見ると感慨深い。なんか良いよね、なんかノスタルジー鳥取。
それから、この前の「夏至祭」でお世話になった木野先生からの紹介で、鳥取市中心街地地域おこし協力隊の方から、予算20万くらいで鳥取市のPR動画を撮ってほしいという話もあって、おかげさまで色々忙しそうにしてます。役者の方が集まらないので、俺の映画は撮れそうにありません。まぁ脚本があればいつでも撮れるからいいけど。うん。悲しいかな。
 近況報告は、これで終わり。

 八月に入って、街の至る所で夏休み中であると思われる小中高生を見かけることが多くなり、自分がそれくらいの年齢だった時を思い出す。文化祭も、体育祭も嫌いで参加してこなかった俺にも平等に訪れるのが夏休みだった。夏休み前の朝礼で、無意味にクソ暑いグラウンドに集められて、代わり映えしない校長の「夏休みの注意事項」みたいなのを流して、エアコンの効いてる部屋に帰って冷や麦を啜りながら、急に明日から始まるオフィシャルな自由に困惑する。
 ただでさえ友達が少ないのに、遊べる友達は田舎に帰ったりしてて、自分は田舎をもってなかったので、それが「僕の夏休み」とか「菊次郎の夏」みたいで凄く羨ましかった。それも少しあって、高校三年生で進路を決める時に、今通ってる地方の田舎大学に進学しようと決めた。
 夏休みと言えば、無意義な宿題が出される。コツコツやらないといけない観察日記だとか、一言日記だとか、算数ドリルだとか、色々。「私、夏休みの終わりごろになって、ケツに火がついてやりだす子供だったんですよ笑」みたいな話はよく聞くけど、俺はそんなのとは比べ物にならなくて、夏休み明けの提出日に、ちゃんと宿題を提出できた記憶がない。そのまま曖昧にして終わったり、十月くらいにやっと終わらせたり、計画性の全くない子供だった。
 友達と遊ばず、宿題もちゃんとせず、夏休みの間なにやってたのかと尋ねられると困るけど、海に行ったり、映画観に行ったり、家でダラダラしてたら親に怒られるからエアコンが効いているっていう理由で市立図書館まで出向いて、眠くなる小説を読んだり、それなりに惰性で無駄な時間を潰していた記憶がある。
 今、大学生になって、世間から「人生の夏休み」なんて言われる身分だってことは自覚してはいるけど、宿題もなくてただ徒に長い夏休みは嫌になる。宿題に追われ、親に怒られ、町内のラジオ体操で肌の焼けた好きな娘を見つけたり、祇園祭に好きな娘を誘って、いつもの制服から黄色い浴衣姿になった彼女を見て無駄に緊張して、手も繋がずにりんご飴だけ買ってあげて帰路に着いたり、落ちこぼれで数学の補習授業を受けに久々に学校に登校して教室の窓から部活動中の友達を眺めたり、公園で蝉をとってたら、近所のお姉さんに「夏だね、少年。」って言われたり。そういう夏休みは俺にはもう二度と訪れないんだな。そういう意味での「夏休み」は始まらない。

 今日のところはこんな感じで、急に終わります。役者が集まらないから、映画撮るの止めるみたいなことを冒頭に書いたけど「そんなこと言うなら、僕()やります!」って言ってくれる人がいればいいな。それじゃあまた来週も書きます。最後まで読んでくれてありがとうございました。

2019年7月28日日曜日

仕事出来ねぇ奴の無駄なプライド、大学生なら金持ってる年上と遊べよ


 バイトに向かう憂鬱な汽車の車中で、放課後の中高生の群れを見かけると、その中に初恋の面影を探して、降りた駅で煙草を吸って咽る。今更、名前も思い出せない娘の行方を想像して。あ、もちろん駅前の喫煙所です。芸能人のしょうもない闇営業報道に紛れて埋もれてしまった失踪女子大生の写真を眺めながら、やっぱり居酒屋の店長なんてサルでもできる仕事だなって実感して、明らかに未成年だと思われる大学生の女の子に「先輩、煙草吸ってるんですか~。何味ですか?苦そうw私最近まで辞めてたんですけど、ストレスで始めたんですよ~w」って変なマウント取られて苦笑いしている内にバイトは終わり、小川のザリガニと旧交を温め、酒を呑んで帰る。最近はそんな感じの日々を送ってます。どうも!部長の柿原です。金がないからっと言って煙草と栄養ドリンクと酒だけで生きてても、金はコンスタントに減っていく。飲み物が水道水くらいだから酒で割って飲んでるとか発想がもう海賊だよね。ていうか、バイト先の店長が低能で、仕事出来ねぇくせに無駄にプライドたけぇから、次に喧嘩したら辞める。別に喧嘩ってほどの物じゃないけど。プライドたけぇバカだから腹立つ。

 1959年のイギリス映画で「年上の女」っていう映画があって、それに並べるのも悪いが、日本でも漫画が原作の「年上ノ彼女」という映画もある。タイトルにはなっていないが、主人公にとって年上の女性がヒロインとなる映画は腐るほどある。まぁ何が言いたいのかというと、世間的に「金持ってないけど夢は持ってる」でお馴染みの大学生のうちに金持ってる社会人の年上の女性と遊んでおいた方が良いってこと。
 元来男と言う生き物は、一般的に年下が好きだとされているが、それは世の女性が一番魅力的に見える年齢が25、6歳であり、人口比率的に25、6歳より年上の男が多いのでそういう理論が出来上がるのではないか、と俺は勝手に考えている。とは言うものの、大学生にもなって女子高校生に手を出している奴が存在しているということも認識している。そのような輩は、これも俺の勝手な偏見だが、「高校生の時に彼女なんてできたことなくて、童貞を捨てるのが遅くて、コンプレックスが多く、遅れた青春を取り戻そうと躍起になっている奴」という風に理解している。自分の周りのサンプルを見ている限りだが、あながち間違っていないように思われる。
 年下の女の子のデメリットを続けて書く。一般的に、というよりも俺が見てきたことだけど、年下と飯を食いに行ったら確実に自分が会計しないといけないし、「かまって」って言う割に具体的なことは言わないし、子ども扱いされたくないお年頃だし、うるせぇし、落ち着きがないし、独占欲強いし、すぐ拗ねるし、性欲強いし。まぁとにかく、年上である自分に対しての期待値が高く、多くを求め易いと感じる。山崎まさよしの「セロリ」じゃないけど。
 そこで年上の女性だけれど、大学生と比べて社会人だと金持ってるから大体出してくれるし、落ち着いてるし、普段ちゃらんぽらんでも説教されることもないし、学校の勉強できなかった奴でも知識が豊富だし、いろんな経験を経て、今自分の隣にいるのだと考えると自信がつくし、とにかく楽。デメリットは「可愛い~w」って言われることぐらい。
 まぁ、要するに年上の女性は良いよってこと。それと人間は「愛」とか「夢」とかを信じたい生き物なんだよねってこと。

 健全な大学生というのが、単位をしっかりとって、バイトして、年の近い恋人をつくって、サークルとか部活とか頑張ってて、居酒屋でビール飲んだり、友達のイベントでコカレロ飲んだり、カラオケでback number歌ってる奴であると仮定すると、俺は明らかに健全な大学生ではない。でも、ひとつだけ健全なところを挙げるとすれば、富野由悠季が言ってたけど、大学生は映画観ろっていうのを忠実に守っている。
 だから、みんなももっと映画を観ろ!人生に必要なことは全部映画から学べるって誰かが言ってたような気がするし。

もういいや、今日はこんな感じで。最後まで読んでくださってありがとうございました。また書くので、暇だったら読んで下さい。