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2019年7月28日日曜日

仕事出来ねぇ奴の無駄なプライド、大学生なら金持ってる年上と遊べよ


 バイトに向かう憂鬱な汽車の車中で、放課後の中高生の群れを見かけると、その中に初恋の面影を探して、降りた駅で煙草を吸って咽る。今更、名前も思い出せない娘の行方を想像して。あ、もちろん駅前の喫煙所です。芸能人のしょうもない闇営業報道に紛れて埋もれてしまった失踪女子大生の写真を眺めながら、やっぱり居酒屋の店長なんてサルでもできる仕事だなって実感して、明らかに未成年だと思われる大学生の女の子に「先輩、煙草吸ってるんですか~。何味ですか?苦そうw私最近まで辞めてたんですけど、ストレスで始めたんですよ~w」って変なマウント取られて苦笑いしている内にバイトは終わり、小川のザリガニと旧交を温め、酒を呑んで帰る。最近はそんな感じの日々を送ってます。どうも!部長の柿原です。金がないからっと言って煙草と栄養ドリンクと酒だけで生きてても、金はコンスタントに減っていく。飲み物が水道水くらいだから酒で割って飲んでるとか発想がもう海賊だよね。ていうか、バイト先の店長が低能で、仕事出来ねぇくせに無駄にプライドたけぇから、次に喧嘩したら辞める。別に喧嘩ってほどの物じゃないけど。プライドたけぇバカだから腹立つ。

 1959年のイギリス映画で「年上の女」っていう映画があって、それに並べるのも悪いが、日本でも漫画が原作の「年上ノ彼女」という映画もある。タイトルにはなっていないが、主人公にとって年上の女性がヒロインとなる映画は腐るほどある。まぁ何が言いたいのかというと、世間的に「金持ってないけど夢は持ってる」でお馴染みの大学生のうちに金持ってる社会人の年上の女性と遊んでおいた方が良いってこと。
 元来男と言う生き物は、一般的に年下が好きだとされているが、それは世の女性が一番魅力的に見える年齢が25、6歳であり、人口比率的に25、6歳より年上の男が多いのでそういう理論が出来上がるのではないか、と俺は勝手に考えている。とは言うものの、大学生にもなって女子高校生に手を出している奴が存在しているということも認識している。そのような輩は、これも俺の勝手な偏見だが、「高校生の時に彼女なんてできたことなくて、童貞を捨てるのが遅くて、コンプレックスが多く、遅れた青春を取り戻そうと躍起になっている奴」という風に理解している。自分の周りのサンプルを見ている限りだが、あながち間違っていないように思われる。
 年下の女の子のデメリットを続けて書く。一般的に、というよりも俺が見てきたことだけど、年下と飯を食いに行ったら確実に自分が会計しないといけないし、「かまって」って言う割に具体的なことは言わないし、子ども扱いされたくないお年頃だし、うるせぇし、落ち着きがないし、独占欲強いし、すぐ拗ねるし、性欲強いし。まぁとにかく、年上である自分に対しての期待値が高く、多くを求め易いと感じる。山崎まさよしの「セロリ」じゃないけど。
 そこで年上の女性だけれど、大学生と比べて社会人だと金持ってるから大体出してくれるし、落ち着いてるし、普段ちゃらんぽらんでも説教されることもないし、学校の勉強できなかった奴でも知識が豊富だし、いろんな経験を経て、今自分の隣にいるのだと考えると自信がつくし、とにかく楽。デメリットは「可愛い~w」って言われることぐらい。
 まぁ、要するに年上の女性は良いよってこと。それと人間は「愛」とか「夢」とかを信じたい生き物なんだよねってこと。

 健全な大学生というのが、単位をしっかりとって、バイトして、年の近い恋人をつくって、サークルとか部活とか頑張ってて、居酒屋でビール飲んだり、友達のイベントでコカレロ飲んだり、カラオケでback number歌ってる奴であると仮定すると、俺は明らかに健全な大学生ではない。でも、ひとつだけ健全なところを挙げるとすれば、富野由悠季が言ってたけど、大学生は映画観ろっていうのを忠実に守っている。
 だから、みんなももっと映画を観ろ!人生に必要なことは全部映画から学べるって誰かが言ってたような気がするし。

もういいや、今日はこんな感じで。最後まで読んでくださってありがとうございました。また書くので、暇だったら読んで下さい。

2019年7月13日土曜日

永遠の別れのような別れ、誰かの救済としての映画


 ここ最近金のない生活をずっと送っていて、忌野清志郎みたいに「宝くじは買わない」スタイルだったのだが、酒と煙草をコンスタントに体に入れられるくらいの金の余裕がないと、貧すれば鈍するとも言うし、ラブホテル代も出せないようなのはダメだなって思い始めたのでそれなりに成長しているんじゃないかと思う。鳥取駅前の居酒屋でバイトを始めたのだけれど、居酒屋とか大学生らしいなってちょっと嫌になる。もっと高尚なバイトがあるならばそれをしたかったのだけれど、早急に金が必要だったので、その辺は妥協した。まぁでもシフトも緩いからまだバイト探しは継続中です。良いバイトないっすか?あ、どうも部長の柿原です。宜しくお願いします。夏の季語で有名なゴキブリさんとのエンカウント率が高くなってきたので家で一人騒いでいる俺です。深夜に近所のコンビニに入ったらヒラタクワガタとかが普通にいるからやっぱり鳥取はスゲェ田舎だなって思う。

俺という人格を拒まれたり女性からフラれたりする事には少し前からちょっとずつ慣れてきたような気がするけど、二日酔いは何度繰り返しても辛いように、何度別れを繰り返しても慣れる事なんてなくて、女性に固執するような世界で一番ダサい恋愛はしたくないからといつもカッコつけている所為で色んな事が積み重なって、ふとした拍子に、半永久的な離別に対する無限の寂寥が、ベッドの上で煙草を吸う俺を襲うことがある。それが俺の月一で訪れる男の子の日の始まりなのだが、今週の頭はそんな感じで、曲を聴いて自分に酔って泣く奴なんて大嫌いなのに、中学生の時によく聴いていたGreen Dayの「Redundant」をギターで弾いて歌いながら部屋の隅でシクシク泣くっていう、普段通りの俺じゃ考えられないくらいの醜態を極めていた。
 高校三年の夏前の昼過ぎの授業中だったと思う。久々に学校に来て、教室の端の席で押し寄せる眠気の波と戦っていた時に、ふと前を見ると、一番前の席で堂々と鼾をかいて寝ている友達がいて、驚愕した。運が悪いことに、現文の渡辺は寝てる奴に難解な質問をぶつける意地の悪い京大文学部哲学科出身のハゲだったので、友達は安眠を妨げられ「君は不老不死になりたいか?」という質問をされた。眠気漂う眼で彼が発したなんでもない言葉が俺の中にまだ残っている。彼はその質問に「出会って得られた喜びよりも、別れた悲しみの方が大きいので、僕は不老不死には憧れない。」そう答えていた。彼は俺と同様にあまり友達が多いタイプではなかったのだが、彼のことが少し分かったような気がして嬉しかった。大学進学を期に、彼とも少し疎遠になってしまったが、それは別に永遠の別れではない。

 去年の暮あたりに、友達の童貞に紹介した女友達から「なんかダメな自分に酔ってない?」って言われたことに酔っています。
 小学校から地元のバカばっかりが集まった中学校に進学した時くらいから、卑屈で捻じ曲がった性格と呆れられるほどの怠惰な生活は変えられないし、自分はこの世界の表街道を肩で風を切って闊歩できる人間ではないってことを悟ったので、サッカーを辞めて鬱屈とした少年時代を過ごしていて、常に死ぬことを考える超絶不健康な子供だったのだけど、その救済となったのが、映画と詩集でした。
 映画の中では、才能のあるダメ人間がめちゃくちゃカッコよく描かれていて、ばっちりキメてるスポーツマンも金持ちも頭の悪い男も死ぬし、萩原朔太郎が「月に吠える」に「詩は、ただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。」と書いていて、実存主義的に他者との共存の中で、自分の存在意義を感じた気がした。
 「煙草と酒が好きな自分」も「学校の単位全然とってない自分」も真面目だけが生きる道ではないし、真面目な男の話なんてクソつまらないし「そういうダメなところが年上の女うけするんだと思う」ってよく年上の女から言われるし、ダメ人間とかクズとか言われんのは全然苦じゃない。まぁトーンに因るけど。まぁそんな感じ。
 なにが言いたいのかと言うと、何かが誰かの救済になっているのかもしれないっていうこと。頭が悪くて、鈍感な人間ならなんの救済も必要としないけど。

 はーい。まぁ週一で映画のことばっかり書けるほど、映画中心には生きていないので、映画とは無関係の話を結構してますが、すみません。鳥大映研の日記っていう事は、田舎の大学で鬱屈とした学生生活を送っている奴の日記ってことだから良いだろ。じゃあ今週もこんな感じで終わります。最後まで読んでくれてありがとうな!はい、じゃあまた来週も書きます。

2019年7月6日土曜日

寺山修司は好きじゃない、坂の多い港町と猫とレモンサワー


 最近、暑いったらありゃしねぇし、やたら雨の日が多いから湿度はたけぇし、イライラするよな!ってかさ、今週の頭くらいまで煙草吸えんくて、禁断症状でマジ糞イライラしとってからに誰でもいいから殴ってやろうっていうぐらいだったので、それは嘘やけど、禁煙なんてできる気がしねぇ笑。お疲れっす。将来の夢として、すき焼きとレモンサワーを好きなだけ飲み食いして、坂の多い港町で、古い映画を観ながらふてぶてしい猫と不健康そうな目をした美人と暮らしたいと思ってる部長の柿原です。そういえば、やっとバイトの面接受けたよ!まぁどうでもいいか笑。そんな感じで今回も46497(ポケベル世代か)
 今週は、夏至祭の映像編集をしなければいけないので、鑑賞会をなくして、部室がないのでうちで編集をしていました。でも、独りで編集するのはなんか気乗りしなくて、人が来るまでの間に、「ダンサーインザダーク」と「HOW TO TALK TO GIRLS AT PERTYS」を観てました。「ダンサーインザダーク」だけで一回分あると思うけど、今回は書かなくていいや。前半で落ち込んでから、後半で気分をあげる。そういうスタイル。

「俺も映画好きだよ。」っていう奴で、おーいマーベル映画かよ!ってなったり、「フランス映画好きなんだよね。」って言われて「へいへい!」ってなったけど蓋開けてみれば「レオン」と「アメリ」かよ!みたいになったり、「私も本読みますよ。」って言っといて、東野圭吾かーい!みたいなことありません?うん、逆にあれか、別に良いけど。てか「レオン」はアメリカと共同制作だから、純粋なフランス映画ではないよねって思う。
好きな映画も作家も、前に多分書いた通り偏りが激しい俺だからなのかもしれないけど、寺山修司が嫌いだ。谷崎純一郎みたいに艶やかでエロティックな女性を描写する変態的で美しい小説は好きなのだが、寺山修司は綺麗な文だけど、なんかそれっぽい事を上から「理解ができない奴はついてこなくていいよ。」みたいなノリで書かれているような気がするし、無駄にカッコつけて整理されてる文は、麻雀で言うと刻子ばっかりそろえる奴みたいで腹が立つ。顔が良いってだけで周りにチヤホヤされて、碌にリフティングもできない頭の悪い浅いサッカー部の男みたいで嫌い。なんか、ただの俺の悪口のレパートリーを並べるだけの文章になっちゃたな。まぁいいか、俺も別に深い人間ではないから。

こんな誰も得しない古臭いブログを読んでも諸君の人生に於いてなんの教養にもなりはしないと思われるので、貴重な人生の時間を割いてこれを読むより、市立図書館にでも行って、永井荷風の本でも借りて来るか、ドストエフスキーの「罪と罰」でも買って少女エロ漫画ばかりが並ぶ貴君の本棚に添えてるか、黒澤明の「生きる」とか買って並べときゃ初めてできたブスな彼女からも少しは教養がある人間に見られるんじゃないか?ごめん、嘘嘘。ちょっと言い過ぎた。
自分のありふれた欠伸が出るような平凡な人生が、まぁ平凡以下かもしれないが、前よりも少し豊かになったと感じる時。それは、セックスの後の倦怠感と一緒に呑む酒を美味いと思った時ではない。映画のエンディングで映ったナイアガラの滝を観て、「My funny Valentine」みたいな古臭いジャズを聴いて、雨上がりのアスファルトと煙草の煙が混じり合った匂いを嗅いで、過去に別れた女性を楽しかった美しい思い出として想い出せる時だと勝手に思う。
 昔はただの映画の脚色だということ、ただの音楽であること、ただの季節の移り変わりだということとしか感じなかった情景が、人との関わり合いの中で彩られるっていうのはなんていうか。それこそ音楽と光とストーリーで風景を彩る映画みたいだなって思う。
 俺が思うに人間は、というか特に女性(こんなこと書くと世の女性に怒られてしまうかもしれないけど、こんなブログをヒステリックな女が読んでいるという想像が全くつかないからいいや)は、無いものねだりをする生き物なので、英語で言えば「Cry for the moon」。こんな慣用句を見ると一茶の「名月をとってくれろと泣く子かな」という俳句が思い浮かぶが、今はそんなことどうでもいい。「好き」っていう気持ちだけで付き合っていられるのは高校生までで、酒を呑むようになったのならば、自分のことを理解して人と付き合えればいいのにね。まぁヤりたいだけならいまのままでいいんじゃね?知らんけど。
 よく人生を映画で例える事が多いけど、進むにつれて展開の可能性が狭まっていくのも同じだと思う。

 はーい。じゃあ今週もこんな感じで、急に終わります。あのさ!映画の役者募集だっつってんだろ!な!マジでお願いしマングース。こっちからお願いしに行ったらいいんかな?わからんけど。じゃあ今日は煙草吸って寝るから!最後まで読んでくれてありがとうございました!