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2020年12月21日月曜日

妄想女子部員ブログ

 先週の初めから雪が降って、大学図書館に本を返しに行かなければいけなかったのですが、足止めをくらっていました。あれからちょうど一週間が経ったのに路肩にはまだ雪がかなり残っています。どこかの誰かが作った雪だるまが近所の駐車場にあります。それが、だんだんと雨で融けてゆく様子を毎日窓から眺めていると、九相図を見ているような気持になるのは私だけでしょうか。

 

 昨日、一昨日あたりに映画研究会の面々が集まって、と言っても感染症対策のこともありますからそれほど沢山は集まれないのですが、映画マラソンというものを執り行いました。私は映画マラソンなるものを初めて聞きました。一体どういうものかと先輩に尋ねてみれば、なにを隠そう一日中立て続けに映画を観続けるというものだと偉そうに言うので、それはまたくだらないことをするなと思いました。映画が始まれば諸々の先輩方は口々に、やれあの監督の映画はなんだとか、この描写は、このカットは、この音楽は、といったように各々の知識を良い気になってひけらかします。はぁ、そうですかと言えばつけあがってしまうのが映画オタクの性というもので、私は無心で字幕を追いました。私も一応は映画好きなので、終わってみれば楽しいものでしたが、部員が増えないのも納得できる所業でありました。映画だけならまだしも、新安保下の学生のようにマルクスがなんだと黴臭い思想を振りまく先輩は迷惑以外の何ものでもなく、私が論駁しようと思えば「君は資本論の本質を理解していないソビエト政府と同じだ」と言われ、ムカつきました。かの先輩には以後控えて頂きたいと思います。早く私の味方になってくれる新入部員が欲しいです。

 

それでは別のお話を。世には「増えるワカメ」というものがあります。私はそれが好きでした。味ではありません。ましてや触感でもありません。私の心を射止めたのは「増える」という部分なのです。実際には乾燥して小さくなったワカメが水分を吸収して再び元のサイズくらいに大きくなるだけなのですが、実家の戸棚にあったそれをお茶碗に入れて、お湯を注ぎ「増える」様を見て悶えていました。なんと愛くるしいのか。「増える」という宣伝文句に偽りなし!誰にも私は止められない!といった感じで増えていきます。植物の成長を短時間で目視しているかのよう気分になります。凄いなぁ。と、無心になってワカメを増やしていました。ゲーム感覚で。そして、増やしたワカメはポン酢で食べます。食べるという行為については当然の結果として伴う責務のようなものでした。私にとって「増えるワカメ」という物の本質は「増える」様を「観察」することにあったのです。

ある日、調子に乗って一袋分の乾燥ワカメを蘇らせる作戦を結構しました。覚せい剤のようなもので、これまでの量では満足できなくなっていたのです。そこから、何故かは忘れてしまったのですが、多分友達に誘われたかなんかで家をほんのちょっと出ました。帰ってきたらワカメはお茶碗から丼にグレードアップした「培養器」からはみ出るほど、ワカメは子供の想像を遙かに超える量になってしまいました。無慈悲にも海洋を漂っていた頃の形に戻ろうとする意志の主張が、私を絶望へと誘うのです。それを見て無力な私は泣きます。さながら、バイバインで増えていく栗饅頭を見ているのび太の気持ちです。こんなの全部食べられない!これは誰にも止められないんじゃないのか?クイーンの名曲が脳裏に流れます(嘘)。食べ物で遊んでた私が悪いんだ。私の責任なんだ!米中貿易摩擦も私の責任なのかもしれない!お母さんに怒られる!絶対怒られる!そう思った私はワカメをトイレに流しました。数時間後、水道屋さんのお世話になることまで予想できるほど、子供の想像力は豊かではありませんでした。それを知ったら谷川俊太郎も筆を折る事でしょう。

 

 今週はこのあたりで終わりたいと思います。冬の空気の中で吸う煙草はとても美味しいので、煙の漂うようにこの街を漂っていたいと思います。そしたらいつかまた会いできるかもしれません。お疲れさまでした。

2020年12月10日木曜日

はじめまして

 みなさま、どうもお初にお目にかかります。

この度突然「君もブログ書いてよ」みたいな感じで流れ流されて、書いたこともないブログを書くことになりました。つきましては私も不定期に更新することになると思うので以後お見知りおきを。

なお「私」が誰なのか?という疑問については、特定されると色々とめんどくさいですし、なによりすっごく恥ずかしいので伏せたままでお付き合いくださいませ。

さて、挨拶もこれくらいにしてそろそろ本文に...と思うんですが、果たして何を書いたものでしょうか。私は他の部員と違ってそんなに映画をたくさん見ているわけでもないし、何か自分のしっかりした思想をもっているわけでもないから、これまでのブログみたいにはかけないし...まぁ、あんまり考えるのもあれなのでとりあえず最近思うことを徒然なるままに書き綴ろうと思います。

寒くなってきましたね。そのせいか分かりませんが、最近人肌恋しくてたまらないんです。つまり寂しい。これまで私生活とか他のサークルでは、自分の立ち回り的に専らひとの悩みを聞くばかりで、人に頼ることができなかったししなかった。

でもちょっと色々あって、その私に期待されている役回りがしんどくなって...でまぁ大きなものに包まれたいというか、こういう時に寄り添ってくれる人がいたらなとか夢見るわけです。

それによく考えたら、もう長いこと自分のパーソナルスペースに他者を入れていないことに気づいたんです。どうりで、心も体も弱るわけです。

結局私の人生には愛が足りていないのです。あーあ、狂おしいほど誰か私を愛してくれないだろうか。

こんな見方によっては軽蔑されそうな、我ながら気色が悪いことを書いてしまったところで今回の私のブログ処女作は、終わりにしようと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。またいつかお会いしましょう。さようなら。るんるん。

2020年12月9日水曜日

ディオゲネスになりたい。

 

今月から蟹旅館のバイトが始まった。もう今年で三回目ということは、鳥取に来てからもう三年が経とうとしているのだ。それに加えて、自分の年齢を考えるともうなんか泣けてくる。子供の頃、教室の後ろに張り出された「明るい未来」という拙い筆遣いで書かれた習字。あの教室に押し込められた生徒の何人が、明るい未来を迎えたのだろうか。成人式に行ってなければ、同窓会にも呼ばれない俺は何も知らない。お久しぶりです、部長の柿原です。オンラインテストもひと段落したのでブログでも更新しようかと思い立った次第でございます。そういえば映画研究会とかあったな、と思って頂ければ幸いです。でもこのブログはほとんど私物化しているので、映画に関係ない話が多いことをご了承ください。

 

社会人という言葉を学生との対比として使う奴が嫌いだ。労働をしているから社会に貢献しているなんていう幻想を抱いている奴こそ社会にそれほど必要のない仕事をしていて、性風俗や土方などといった肉体労働者をバカにしているのだ。まぁ、それは偏見だけど。

確か、なにかの映画で「大学を出てもヒッピーかセールスマンにしかならない」みたいなセリフがあった。それも一理あるような気がする。学費や奨学金の返済から資本主義に辟易して生活を捨てるか、適当に流れで就活して適当な会社で働くのか。まぁ俺の労働意欲というものはここ数年でどこかへ消えて行った。作家として文章だけ書いて生きていければいいのにな。それか中核派や革マル派に入って暴力で社会主義革命を起こすか!いや、それはナンセンスだわ。ナンセンス!この頃マルクス主義などと言えば理解の無い少年少女から蛇蝎視されることもあるが、それこそ資本主義的教育の賜物である。「自由」を掲げる正義の精神にはほとほと呆れる。もうどうでもいいから、全ての健康で文化的な最低限度の生活を投げ捨てて、犬儒派のディオゲネスのようになりたい。そしてボードレールが詩を書いたフリュネに好かれたい。

 

 どうして俺はこの街に、この大学に来たのだろうか。そんな話を昔の俺としていた。部屋にいても隙間風が寒いので、それならもういっそ新しい靴を履いて街へ出ようということになって、ビリーホリデイの「奇妙な果実」を聴きながら夜に歩いた。この街には孤独を邪魔するものは何もない。これまでの人生で人間関係に埋もれて見えなくなっていた自分が表面化している。未熟な精神が理想と現実との間で軋んでいる。自らを殺すために、自己毀損のためにここへきたのか?いや、そう思えるほど固い意志と存在を知覚したのだ。

また歩き疲れてふと頭上を見ると、空には星があった。星座などには詳しくないので、それは一つひとつが確固として存在しているただ綺麗な光の点でしかなかった。この街にはマンションも金持ちもいない代わりに、天気の良い夜は、誰にも邪魔されずに星が見えるんだな。

今回はこんな感じで終わります。最後まで付き合って頂いてありがとうございました。