今月から蟹旅館のバイトが始まった。もう今年で三回目ということは、鳥取に来てからもう三年が経とうとしているのだ。それに加えて、自分の年齢を考えるともうなんか泣けてくる。子供の頃、教室の後ろに張り出された「明るい未来」という拙い筆遣いで書かれた習字。あの教室に押し込められた生徒の何人が、明るい未来を迎えたのだろうか。成人式に行ってなければ、同窓会にも呼ばれない俺は何も知らない。お久しぶりです、部長の柿原です。オンラインテストもひと段落したのでブログでも更新しようかと思い立った次第でございます。そういえば映画研究会とかあったな、と思って頂ければ幸いです。でもこのブログはほとんど私物化しているので、映画に関係ない話が多いことをご了承ください。
社会人という言葉を学生との対比として使う奴が嫌いだ。労働をしているから社会に貢献しているなんていう幻想を抱いている奴こそ社会にそれほど必要のない仕事をしていて、性風俗や土方などといった肉体労働者をバカにしているのだ。まぁ、それは偏見だけど。
確か、なにかの映画で「大学を出てもヒッピーかセールスマンにしかならない」みたいなセリフがあった。それも一理あるような気がする。学費や奨学金の返済から資本主義に辟易して生活を捨てるか、適当に流れで就活して適当な会社で働くのか。まぁ俺の労働意欲というものはここ数年でどこかへ消えて行った。作家として文章だけ書いて生きていければいいのにな。それか中核派や革マル派に入って暴力で社会主義革命を起こすか!いや、それはナンセンスだわ。ナンセンス!この頃マルクス主義などと言えば理解の無い少年少女から蛇蝎視されることもあるが、それこそ資本主義的教育の賜物である。「自由」を掲げる正義の精神にはほとほと呆れる。もうどうでもいいから、全ての健康で文化的な最低限度の生活を投げ捨てて、犬儒派のディオゲネスのようになりたい。そしてボードレールが詩を書いたフリュネに好かれたい。
どうして俺はこの街に、この大学に来たのだろうか。そんな話を昔の俺としていた。部屋にいても隙間風が寒いので、それならもういっそ新しい靴を履いて街へ出ようということになって、ビリーホリデイの「奇妙な果実」を聴きながら夜に歩いた。この街には孤独を邪魔するものは何もない。これまでの人生で人間関係に埋もれて見えなくなっていた自分が表面化している。未熟な精神が理想と現実との間で軋んでいる。自らを殺すために、自己毀損のためにここへきたのか?いや、そう思えるほど固い意志と存在を知覚したのだ。
また歩き疲れてふと頭上を見ると、空には星があった。星座などには詳しくないので、それは一つひとつが確固として存在しているただ綺麗な光の点でしかなかった。この街にはマンションも金持ちもいない代わりに、天気の良い夜は、誰にも邪魔されずに星が見えるんだな。
今回はこんな感じで終わります。最後まで付き合って頂いてありがとうございました。
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