このブログを検索

2021年4月1日木曜日

小さきものへ・新歓についての悩み

 どうも、皆さん。鳥取大学映画研究会、前部長の柿原です。現部長はたしか白濱君だったと思うのですが、ブログを書く担当は僕になっているので、白濱君とはまた別の機会に会ってください。春休みももう少しで終わることだし、入学式なんかもあったりして、もう新学期が始まろうとしていますね。この時期になれば、例年は正門前あたりに大学デビューを図った新入生の群れがあるのですが、コロナの所為で今年は観測できませんね。6年間以上の制服生活から急に慣れないお洒落をして、女子から連絡先を聞き出そうとしている金髪君は、この季節の僕の愉しみだったのですが。

 映画研究会に少しでも興味があって、日本語が少しなら読めるという新入生が何人か、このブログを読んでいることを期待して、いまこうして書いています。今回は多少新入生に向けた文章を書きつつ、先日あった新歓についてのオンライン会議の報告やらなんやらをしたいなと、思っています。宜しくお願いします。

 

オンライン会議に至るまでの道程として、後輩がTwitterにて「#春から鳥大」とツイートしている新入生に対して、片っ端から見境なくファボするというようなことをしていたが、それでは全くと言っていいほど成果が上がらなかった。まぁ、それはそうだろう。毎年、多種多様なサークルが新入生の新設アカウントをフォローしているが、新入生の興味を惹くことができるのは一部の限られたサークルのみである。そのサークルの本質とは、教養の為の知的活動ではない。それらは決まって、異性間交流、先輩から後輩への過去問の受け渡し、有象無象が入り乱れる飲み会などに精を出しているようなサークルである。それらは幼気な新入生にはいかにも輝いて見えるのであろう。僕は悲しい。

毎年いったいどれほどの新入生が、楽しそうな活動内容に惹かれ、ろくに話せもしない女子の視線が入り乱れる新歓コンパの中、あわや彼女でもこのサークルで作れるのかもしれないなどといった甘い期待のもと入部し、結局同種の男仲間すら作れずゴールデンウィークあたりにサークルを辞め、孤独なソーシャルゲームの世界へと導かれ、無為に学生生活を終えてしまうのだろうか。僕は非常に悲しい。彼らが就活生になったとき、エントリーシートは空白である。

 

 話が少しばかり逸れてしまった。オンライン会議の様子といっても僕は寝ていて、参加できませんでした。なので、後日後輩と先輩から聞いたことを総合的にまとめて書きます。

 後輩の話によると4月からオンライン新歓みたいなものをするらしいのですが、誰もオンライン新歓というものが何なのか理解していないので、一体どんな仕上がりになるのか楽しみです。他のサークルと比べれば、意外とオンラインで活動がしやすいサークルの一つだと思われる、我らが映画研究会ではありますが、これまでの映画鑑賞会などの活動をどのようにオンライン上で行うかなどという課題はまだいろいろとあるなと思います。

 原則として、大学の授業がオンラインで行われる限り、全サークルの活動もオンライン上に限られるなどといった通達があったのですが、他のサークルはどうしているんだろう?最近気づいたことには、映画研究会というサークルは部室もない弱小サークルだと自負していたが、それはもしかしたら間違っているのかもしれないということです。部室がないので、部員の部屋を部室代わりにしているのは希有なことであるが、去年まで、部室の枠を狙っていたライバルの手品同好会だかなんだかは潰れてしまったらしいし、女子のバスケットも全然人がいないと言ってたし、麻雀同好会とかいうのも活動しているかどうかわからないし、文芸部は最近見かけないし。ここだけの話だが、マーレの前に置いてあった文芸部の冊子を一度手に取ったことがあるが、あれはまさにショーペンハウアーが「読書について」という本で何度も苦言を呈していた文章の最たるものであると感じた。まぁこんな話は置いといて。部員がいまのところ12人もいて、比較的きちんと活動している映画研究会は、文化系サークルのなかでも優秀なものであると認めざるを得ない状況である。だから、新入生諸君!その胸に宿す華やかなキャンパスライフという希望の芽を立派な一樹の巨木へと成長させられる園は、我らが映画研究会という土壌なのかもしれないではないか。どこのサークルに入れば大学生活という最後の青春を謳歌できるものかと、考えあぐねている新入生で、今!このブログを読んでいる君!の期待ならば僕は裏切らない!!

 

ここからは僕の春休みの話を書くので、全く興味が無いという人はここでブラウザを閉じて、もっとアナタの人生にとって有意義なものであると信じる本を読んで下さい。お疲れさまでした。

 

コロナ禍なのにも関わらず旅行に行きました。一人なら良いだろうというような安易な考えです。春休みが始まってしばらくの間、実家のある街へ帰っていたのですが、都会の人混みは精神を疲弊させるだけでなく、思索に耽る暇もないのです。だから、閑散とした山陰のワンマン列車に揺られて、九州は長崎県へ行きました。道中、寂れた漁村や有明海の静かな海を眺めていると、何年も頭の中に積もった情報の山から新しいものを生み出せるような気がしてきます。けれど結局、眠気の波の中で揺れて消えて行くので、有形無形のそれらがまた表面化して、人生の退屈と苦悩をぶち壊してくれる日が訪れるのを期待しながら車窓の流れる景色を眺めることしかできませんでした。

僕は、これといって旅先で何をするか、何を見るか、何を食べるか、などという事を全く決めずにただひたすらに目的地を目指す、という旅行をします。現地での計画などほとんどありません。アーケードに覆われた商店街の外れにある喫茶店で終日、時間を潰すこともあれば、天気の頗る良い日なら目的の無い散歩をすることもあります。それは梶井基次郎「檸檬」にあるような妄想のようなものです。とにかく、現地についてしまえばあとはただ、帰る日を待つだけなのです。だから僕は車窓を眺めながらまた、次の旅行先を考えていました。

 昔、と言っても二年前くらいの話ですが、カメラマンの先生にたまたま実家の近くでお会いした際の会話を思い出しました。先生は「実は、君に会って話がしたかったんだよ。街でこうして会ったのもただ、タイミングが良かっただけじゃないと私は思う。」というようなことをおっしゃられていました。そしてまた、続けて「これは、私が君に会いたいと思っていたことで現実化した邂逅であって、これは私の力なんだ。若い君は笑うだろうが、人生にはこういうことがよくあるものだ。」と言って、その後先生は、僕を近くの喫茶店へ誘ってくれました。

 話は電車の中に戻ります。僕はLINEの不在着信が一件あることに気付きました。それは、比較的新しい友人からの連絡でした。要件を尋ねてみると、彼は一緒に群馬に行かないかと言いました。僕は以前から前橋市にある「萩原朔太郎記念館」が気になっていたので、ふたつ返事で了解しました。こうして次の旅の目的地が決まったのです。記念館へ行った僕がどれほど感動したか、という話をすると長くなってしまうので省略しますが、とにかくそのときの僕は、これまでの目的のない放浪というのはここへ来るためにあったのではないだろうかと思うほどでした。そして僕はあの先生の言葉の意味を少し理解したような気になって、帰路についたというお話です。

 

 ここまでブログを飽きずに読んで頂いてありがとうございます。今回は少々長くなってしまいました。もし、新入生の方がこのブログをここまで読んでしまったのであれば、かなり疑問に思われることでしょう。「あれ?これは映画研究会の活動報告ブログではなかったか?それにしては、関係のない話題が多すぎるぞ?」その疑念を胸に抱いて生きて行ってください。いつか誰かと共有できるかも知れません。それでは、また次の日まで。お疲れさまでした。