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2022年4月11日月曜日

書かなきゃ死ぬ

 東京の街は寒かった。それに山手線の車内に響くエンジン音は冷たい。山陰や北陸を走るキハのエンジン音には、母親が漕ぐ自転車に揺られているかのような温かみがあったのに。身を寄せていた知人の部屋の窓外の駅に、せこせこと動き回る人々の去来を認めて厭世的な気分になる。あれが満員電車というものか。

 お久ぶりです、映画研究会の柿原です。よろしくお願いします。新入生の方々、はじめまして。ここのところ、東京は北区赤羽の知り合いの家で、居候しながら小説を書いてました。炊事洗濯くらいは、ちゃんとしてましたよ。

加えて今後、この映画研究会のブログを更新するのは難しいと思うので、僕が書くブログはこれで最後になります。後輩で書きたい奴がいれば、引き継いでもらいたいのですが。誰かいないかな。「あ、あの映研ブログだったら読んでるよ!」みたいな声があまり聞こえてこない不毛なブログなんですけどね。

 

 大学に入ったんだから、せっかくだしサークルにでも入って、華やかなキャンパスライフを謳歌したいな、とか考えている新入生が、もしかしたらこのブログを読んでいるかもしれないと思って書いている。と、言ってもここ数年はずっと僕が書いているので、ほとんど書くことがない。気になる人は去年の春に書いたブログを読んでくれればいいとさえ思う。

 しかし、そんなこと言っていたら一年間何も進歩していない人間みたいじゃないか。だから、今年は今年のことについて書こう。それに、黒歴史を漁られるのも嫌なんだよな。

 

 「コロナ禍」になって久しい。金原ひとみが書いた「アンソーシャル ディスタンス」が第53回谷崎潤一郎賞を受賞したのが去年の夏。それから一年経った。そして今はウクライナにロシアが侵攻して、戦争になってる。これが21世紀か。ドラえもん、いないし

人新世の人類は退屈とは無縁な様でいて、僕たちの環世界には内在的な退屈が横臥している。僕らを退屈な時間から隔ててくれるのは、この汚い部屋の薄っぺらいドアなんかじゃない。それこそ、映画や小説みたいな芸術なんじゃないかな。ショーペンハウアーもそう言ってるし。

 まぁ、あと散々酔える量のウイスキーと拳銃があれば現世から解脱できるな。僕がもしウクライナで戦争してるロシア兵だったら、傍らにある拳銃とかで自殺するのかなとか考える。殉難は美談になるかもしれないけど、清潔なシーツと熱いシャワーがあるなら、イデオロギーの奴隷になるほうが楽だよな。ロシア兵と話したことないから知らんけど。

 話が逸れてしまった。新入生に向けて書きたかったのに、いつもみたいに独り語りをつらつら書き連ねてしまった。結局のところ僕が言いたいことってのはいつもと同じで、芸術は偉大だってこと。それと、何かに所属してる人間は楽だってこと。これは関係ないけど。

 

 なんだかんだ言ってるけど、僕みたいな粗忽者が新入生に言いたいことなんて、おこがましいから別に無いかな。大学生の4年間なんてあっという間だし、誰かに言われてその通りに過ごすなんてつまらないだろ。真面目に単位とって卒業したり、サークルの方が楽しかったり、大学辞めたり、旅したり、映画撮ったり、小説書いたり、なんでもすりゃいいや。人生においての重要な瞬間を捉えて決断すれば、あとは何してもいいんじゃないすか?そのときの決断を信じて生きればいい。ハイデガーがそう言ってた。まぁ、僕らは死ぬときが来るまで人生を楽しみましょう。

 

 最後に僕が、いつもこのブログを読んでくれている人達に言いたいことでも書こうかな。

 

 これまで飽きずに読んでくれてありがとうございました。先輩から受け継いで、数年。たまに気が向いたら書く、みたいな感じだったけど。これからも映画研究会を温かい目で見守ってあげてください。

 僕は生きるために書くしかないので、書くために生きるしかないので。また、長い旅の先で、どこかの街の喫茶店とかで会ったら。そのときは、一緒に遊びましょう。煙草臭かったら、ごめんなさい。

ありがとうございました。お疲れ様です。

 

 映画研究会としてブログを書くことはやめるんですけど、一応noteで気が向いたら文章書くので、暇だったら読んで下さい。以下URLです。

https://note.com/kaki_marumaru

2021年6月1日火曜日

部室がない!免許もない!

  今日は休みだから一日中寝てやろうと思ったのに、一度も拭いたことない窓から差し込む朝日が眩しくて、アラビア人を殺してやろうかと思った。梅雨入りしたのだから山陰らしく雨でも降れば可愛げも情緒もあるのにと、腹が立つ。カーテンの無い窓から差し込む光を遮るには、とりあえずシーツを物干し竿に掛けてやればよいではないかと思い立ち、朝っぱらから洗濯機を回して柔軟剤の匂いで部屋を埋め尽くしてやった。気分がいいからテスト勉強なんて放っておいて、散歩に出かけよう。そうしたらゲーテの「ファウスト」みたいにメフィストフェレスに会えるかもしれない。同じ「光を愛せざるもの」として打ち解けられるだろう。こんにちは、映画研究会の柿原です。よろしくお願いします。散歩に行く前にブログを更新しようと思いまして、今こうして書いている次第にございます。

 何故だかしらないが、今年は映画研究会にかなりの人数が入ったので、部室も夢じゃなしということで、サークル棟に映画研究会の部室を設けたいと考えていた。しかし、先輩の話によると秋まで待たなければいけないらしい。それまでは今の人数を維持したい。もしくは、これからもっと入部してくれてもいいのだけれど。そうすれば部室で麻雀を打ったり、いらない本をかき集めて作った「映研図書」を設置したりすることができる。もちろん、撮影機材の置き場にも困らない。「夢は夜ひらく唄っても、ひらく夢などあるじゃなし」と言ってたのに、映研の未来は明るいのではないか。その頃には僕はいないのだけれど。相変わらず僕の将来はわからない。「サルトル、マルクス並べても、明日の天気は分からねぇ。」って感じです。

 「私が哲学の話をすると、相手は大抵嫌な顔をする。」ことが対他存在の責任者である僕には分かってきた。彼等のまなざしに嘔吐することはないのだけれど、部屋に一人でいると孤独の果てに吐き気を催してくる。何度もこのブログ内で、大学生の孤独について書いているが、嘔吐するほどになれば逆に楽しくなってくる。友達や話相手がいなくても、本や映画を通して自己と対峙することができる。つまり、自分の知る限り最も理解のある人間と会話することができるのだ。先に言っておくが決して病んではいない。精神は安定しているし、寧ろ健康的な方だ。人間はどんな社会に属していても大抵は他人と関わりあいながら生活しなければならない。それは不断のストレスとしてこれまで自分を苦しめていたのかもしれない。こうなったのは先月、一週間ほど地元の友達が泊りに来ていたことが関係していると思う。彼が一週間もこの狭い部屋にいたことで、僕はかなり精神的に参っていたし、とにかく早く独りになってゴダールの「イタリアにおける闘争」を観たかった。やれ「また、共産主義か。」と彼に揶揄されるのは腹立たしいし、彼と口論したとてアウフヘーベンすることはないというのは長年の付き合いで知ってる。そんな奴に行動を制限された環境から解放された今、独りがとても楽しい。寂しさの静寂は音楽が埋めてくれる。浅川マキのアルバムでも聴きながら散歩に行こう。鳥取駅まで行ってギターの弦を買って、岡林信康のフォークソングでも歌おう。ウッディアレンみたいに昔を羨むばかりじゃいけないんだろうけど、資本主義経済の国際化でアイデンティティを見失う前に。モラトリアムが守ってくれている間、諦念はいらない。