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2026年9月14日月曜日

軌跡3

私が何かを書きはじめるまでしばらくたった。

言葉に対する信頼を失いつつある。

それも、単に気分でしかないけれど。


書くことと、描くこと、について。

対象を分析して整理して意味を見出す試み、なんて陳腐だろうか。

やっぱり、そこから零れ落ちるものこそ、大切なんじゃないか。

あなたそのものは、あなたによってしか掴めない。


うちなる裁判者はいなくなった。

社会に戻れば、また、はじまる。


イメージ、概念になる前のもの。

イメージとイメージから、別のイメージへ。

水辺のショット、映像はとても美しい。

でも、ふと、あれもこれも、快楽とノスタルジーでしかないと思う。

やりたいこと、しなければならないこと、遠い。

全部が一つになればいいのに、

全部の夢を生きたいと思うけれど、漠然と向こうからやってくる死、

引きずり込まれる、感覚、ある矛盾。

死を救いだとでも思っているのか?

この数式は便利すぎる。


私たちは、ずっと一人だ。つながってつながって、またつながってないと気づく。

なんのために、神は意識を与えたのか。

神自体、問うことができないじゃないか。

言葉、世界の外側にはいけない。


内も外もはじめからなかったとしたら。

あなたがいるから、私がいるのだとしたら。

なぜ私たちは孤独なのか。


映画ができることを、未来を考える。

例えば、長くて不自由な空間から思考が生まれるとしたら?

高尚な映画、社会はそれを拒む、また、空想にしかならない。


わたしが生きていることと、その内実の、距離の遠さ。

私は生きているのだろうか。

映画は、何かは、ものは、示すことができるのか。

答えというもの、たどり着けないもの。

もはや、思考はここで止まる。


残ったのは、なんとなくだけ。

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